のんびりとした我が書斎にて。
2006年1月2日 日常世の中の動きが止まってしまったような正月二日。都会はどうなのかは知らないが、田舎は人一人っ子、通りやしない。時折、思い出したかのように車が走る。誰も来ない書斎の中で、僕はパソコンとにらめっこしながら、帳簿の整理に明け暮れた。恐らく、明日まではゆっくり出来るだろう。4日には母のいる故郷まで、とんぼ返りをしようと思っている。人様が仕事で故郷を離れるとき、僕は故郷に帰省だ。これも、我が身が背負った運命である。素直に受け入れなくちゃ。
最近、母は膝小僧が痛いらしく、歩くのもしんどいらしい。老いていけば誰しも、体のどこかに変調を来す。これは致し方のないことだ。幸い、僕は絶好調とまではいかないが、そこそこ健康のようだ。友人とも会おう。友人の母が12月他界した。線香を手向けよう。
それにしても、今日は良い天気だった。寒いながらも、外は車が通らないせいか、空気がきれいである。人口が減って、車に乗る人が減ると、空気はもっときれいになるのだろうか。外の空気を吸いながら、ふと、そんなことを思った。
後数日もすれば、正月の静けさが嘘のように、社会全体がごった返す。いつもながらの風景だが、そんな風景の中で、翻弄している自分の姿が見える。
やはり、僕も社会の落とし子なのだ。社会の喧噪を逃れて生きていくことは出来ない。そう言う意味でも正月の静けさは意義がある。
それはそうと、ここ数ヶ月、はまっているものがある。何かと言えば韓国のドラマを見ることだ。特に「チャングムの誓い」とか、「海神」とか言うドラマは最高。次の配信が待ち遠しくて仕方がない。何にもまして、女優さんが美しい。「イ・ヨンエ」さんとか、「スエ」さんとか言ったっけ。見事な美しさにほれぼれ。昔は999の「メーテル」みたいな女性にあこがれていたが、これはアニメの世界。「イ・ヨンエ」さんとか、「スエ」さんは実在の人物。なんでも、イ・ヨンエさんに会うツアーも出来ているそうだ。それに参加することは無理としても、「神はかくも美しき女性を創造なさったのか」と、その感動のみで我慢しておこう。
もちろん、ドラマという虚構の世界を覗いての感動であり、現実の彼女たちの姿はもっと違ったものかもしれない。事実は小説より奇なるという。ただ、索漠とした世の中で、生きることの勇気を与えてくれるこのドラマに乾杯だ。早くラストシーンまで見たいことよ。
最近、母は膝小僧が痛いらしく、歩くのもしんどいらしい。老いていけば誰しも、体のどこかに変調を来す。これは致し方のないことだ。幸い、僕は絶好調とまではいかないが、そこそこ健康のようだ。友人とも会おう。友人の母が12月他界した。線香を手向けよう。
それにしても、今日は良い天気だった。寒いながらも、外は車が通らないせいか、空気がきれいである。人口が減って、車に乗る人が減ると、空気はもっときれいになるのだろうか。外の空気を吸いながら、ふと、そんなことを思った。
後数日もすれば、正月の静けさが嘘のように、社会全体がごった返す。いつもながらの風景だが、そんな風景の中で、翻弄している自分の姿が見える。
やはり、僕も社会の落とし子なのだ。社会の喧噪を逃れて生きていくことは出来ない。そう言う意味でも正月の静けさは意義がある。
それはそうと、ここ数ヶ月、はまっているものがある。何かと言えば韓国のドラマを見ることだ。特に「チャングムの誓い」とか、「海神」とか言うドラマは最高。次の配信が待ち遠しくて仕方がない。何にもまして、女優さんが美しい。「イ・ヨンエ」さんとか、「スエ」さんとか言ったっけ。見事な美しさにほれぼれ。昔は999の「メーテル」みたいな女性にあこがれていたが、これはアニメの世界。「イ・ヨンエ」さんとか、「スエ」さんは実在の人物。なんでも、イ・ヨンエさんに会うツアーも出来ているそうだ。それに参加することは無理としても、「神はかくも美しき女性を創造なさったのか」と、その感動のみで我慢しておこう。
もちろん、ドラマという虚構の世界を覗いての感動であり、現実の彼女たちの姿はもっと違ったものかもしれない。事実は小説より奇なるという。ただ、索漠とした世の中で、生きることの勇気を与えてくれるこのドラマに乾杯だ。早くラストシーンまで見たいことよ。
コメント