正月も遠くになりにけり。
2006年1月28日 日常正月も遠くになりにけり。
ふと、気がついたらもう1月も終わろうとしている。正月は遠くになりにけりである。僕はといえば、正月5日に実家へのとんぼ返りの帰省を済ませた。それは良かったが、翌日から嵐のような仕事が僕の体を占領した。二足のわらじを履いているから、仕方がないといえば、そうであるが、さすがにくたくたの連続だった。かくして日記をしたためることも、紐解くこともままならず、今日を迎えてしまった。これ以上、書くと言い訳が嘘みたいになってしまう。止めておこう。
僕の身辺もさることながら、その間、世の中は色んなニュースで盛りだくさんだった。良いニュースならまだしも、生きていくことにためらいさえ覚える暗いニュースばかりだ。なかでも、雪国の人たちのいまだかってない積雪との激闘の姿には、ただただ頭が下がる。自然の脅威をまざまざと見せつけられた感じである。日本のみならず世界のいたるところで、このような異常気象が起きているようだ。一過性のものなのか、これからも、同じ状況が続くものなのか良くわからないが、人間はもっと謙虚な気持ちで自然を見直し、用意あれば憂いなしで、万全の対策を講じておく必要があるだろう。
自然現象もさることながら、社会現象も異常さを呈している。耐震偽装の問題や、株取引にまつわる不透明な金の流入、流出。ブラックボックスのなかでは何が行われているか見えない。見えざる手が「濡れ手に粟」という大枚を稼ぐという社会現象はいががなものか?。昔、恩師が言っていた。「法は弱者を救済するためになければならない。正直者が馬鹿を見てはいけない」。確かにそうだと思う。果たして、いまや法は弱者のためになっているのか?。なんとも言い難い。ホリエモンさんのような若手事業家の台頭は、世の中に新風を送り込み、好ましいことではあるが、「健全な体に健全な精神が宿る」という言葉にもあるとおり、まずは健全な体を作ることが肝要ではなかろうか?。
久々に吠えてみたが、他人事なら何とでも言える。人の振り見て我が振り直せ。自らも色んなことを教訓として、わが身を律していかねばなるまい。せっかく授かった生である。お天道様の方を向いて、ひたすら生きよう。
ふと、気がついたらもう1月も終わろうとしている。正月は遠くになりにけりである。僕はといえば、正月5日に実家へのとんぼ返りの帰省を済ませた。それは良かったが、翌日から嵐のような仕事が僕の体を占領した。二足のわらじを履いているから、仕方がないといえば、そうであるが、さすがにくたくたの連続だった。かくして日記をしたためることも、紐解くこともままならず、今日を迎えてしまった。これ以上、書くと言い訳が嘘みたいになってしまう。止めておこう。
僕の身辺もさることながら、その間、世の中は色んなニュースで盛りだくさんだった。良いニュースならまだしも、生きていくことにためらいさえ覚える暗いニュースばかりだ。なかでも、雪国の人たちのいまだかってない積雪との激闘の姿には、ただただ頭が下がる。自然の脅威をまざまざと見せつけられた感じである。日本のみならず世界のいたるところで、このような異常気象が起きているようだ。一過性のものなのか、これからも、同じ状況が続くものなのか良くわからないが、人間はもっと謙虚な気持ちで自然を見直し、用意あれば憂いなしで、万全の対策を講じておく必要があるだろう。
自然現象もさることながら、社会現象も異常さを呈している。耐震偽装の問題や、株取引にまつわる不透明な金の流入、流出。ブラックボックスのなかでは何が行われているか見えない。見えざる手が「濡れ手に粟」という大枚を稼ぐという社会現象はいががなものか?。昔、恩師が言っていた。「法は弱者を救済するためになければならない。正直者が馬鹿を見てはいけない」。確かにそうだと思う。果たして、いまや法は弱者のためになっているのか?。なんとも言い難い。ホリエモンさんのような若手事業家の台頭は、世の中に新風を送り込み、好ましいことではあるが、「健全な体に健全な精神が宿る」という言葉にもあるとおり、まずは健全な体を作ることが肝要ではなかろうか?。
久々に吠えてみたが、他人事なら何とでも言える。人の振り見て我が振り直せ。自らも色んなことを教訓として、わが身を律していかねばなるまい。せっかく授かった生である。お天道様の方を向いて、ひたすら生きよう。
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