朝から弱犬の遠吠え。
2006年3月6日 日常しとしとと降る三月の雨もいいものだ。風もない。僕は今、書斎兼事務室の窓から外を眺めながら、この備忘録なるものをしたためている。あまりにも静かな朝の一時。外には人一人っ子見えない。「おーーい。誰かいないか?」と叫んでも、応えるのは猫の「にゃん吉」だけだにゃん。最近、外遊びを覚えたようで、二本の前足を器用に使って、扉をこじ開ける。賢いと言えば賢いが、妙に腹立たしく思うことがある。にゃん吉も僕から好意を抱かれていないと知っているのか、日常的によそよそしい。山の神にだけはべっとりと甘えているようだ。
以前、山の神に言われたことがある。「食事を与えている人が一番信頼されているのよ」と。まあ、そうかもしれない。山の神が留守の時は僕が食事を与える。そのこともあって、一応、僕も家族の一員と思っているようだ。ただし、全幅の信頼は得られていない。
朝の静寂が猫のにゃん吉の話になってしまった。時々都会のことを思う。早朝から人の波が中心地へ向かって行列をなす。昔は僕もその一員だった。今、田舎から、そんな光景を想像すると、昔見た銀河鉄道999の一場面が浮かぶ。その場面とは、機械の体に改造すべく集められた人間が夢遊病者みたいになって、行列を組み、歩いている姿だ。サラリーマンの姿をそうとらえては悪いが、今のご時世。なんとなく勤労者に元気がないように思えてならない。一番元気があるのは政治の世界だろうか?。良いことでの元気ならば歓迎だが、どうもそうではない。
目前に迫っている増税の嵐。少子化社会の中で、苦肉の策として、扶養家族が多いところ、いわゆる子供を沢山産み育てる家庭には、優遇税制をしくという。結構なことだ。ただ、そんな目先の対策ではたいした効果は生まれないだろう。どうすれば良いのか?。僕にも分からない。ただ、安心して何人でも子供を育て、かつ、生活をエンジョイできる環境をつくるにはどうすればよいか、英知を絞って考える必要があるだろう。僕にはまだ、体製造能力は備わっているが、育てる能力があるやなしや?。難しいところだ。
いやはや、朝から頭の痛い話になってしまた。この辺で仕事に戻ろう。
以前、山の神に言われたことがある。「食事を与えている人が一番信頼されているのよ」と。まあ、そうかもしれない。山の神が留守の時は僕が食事を与える。そのこともあって、一応、僕も家族の一員と思っているようだ。ただし、全幅の信頼は得られていない。
朝の静寂が猫のにゃん吉の話になってしまった。時々都会のことを思う。早朝から人の波が中心地へ向かって行列をなす。昔は僕もその一員だった。今、田舎から、そんな光景を想像すると、昔見た銀河鉄道999の一場面が浮かぶ。その場面とは、機械の体に改造すべく集められた人間が夢遊病者みたいになって、行列を組み、歩いている姿だ。サラリーマンの姿をそうとらえては悪いが、今のご時世。なんとなく勤労者に元気がないように思えてならない。一番元気があるのは政治の世界だろうか?。良いことでの元気ならば歓迎だが、どうもそうではない。
目前に迫っている増税の嵐。少子化社会の中で、苦肉の策として、扶養家族が多いところ、いわゆる子供を沢山産み育てる家庭には、優遇税制をしくという。結構なことだ。ただ、そんな目先の対策ではたいした効果は生まれないだろう。どうすれば良いのか?。僕にも分からない。ただ、安心して何人でも子供を育て、かつ、生活をエンジョイできる環境をつくるにはどうすればよいか、英知を絞って考える必要があるだろう。僕にはまだ、体製造能力は備わっているが、育てる能力があるやなしや?。難しいところだ。
いやはや、朝から頭の痛い話になってしまた。この辺で仕事に戻ろう。
コメント