熟年離婚と熟年再婚。
2006年4月5日 日常四月かあーー。されど四月。四月に振る雨もいいものだ。五月になると「五月の雨もいいものだー」。六月になると「六月の雨もいいものだーーー」と、毎月同じ事を僕は言っている。月日は変われど、その時々に降る雨に、いろんな人間の思いが込められているから、そう思うのだろう。
話は変わるが、さっき、テレビを見ながら朝食を食べていた。熟年離婚と熟年再婚の報道をやっていた。何でも2007年に年金法が改正されるそうな。その時まで離婚を引き延ばし、改正後、離婚に踏み切る。いわゆる離婚待機族がいて、改正後に「どーーーっ」と熟年離婚が増えるらしい。その心はいったい何だ?。いわずもがな、離婚後、前夫の年金の半分はいただこういう腹づもりである。なるほどそうか・・・・。
嘆かわしい。いままで、連れ添ってきた云十年という歳月は何だったのか?。あきらめと後悔の連続だったというのか?。綾小路君麻呂さんの漫談を思い出す。「若い頃はきれいでした。一緒にいるだけで楽しかった。結婚して40年。今では一緒にいるだけで、息切れ、目眩、動悸。会社で安定剤一錠。家で三錠」。女性の立場から言えば、「「今では、夫がすするお茶の音さえ嫌になり、いちど入れてみたいトリカブト」。こうなりゃー、もう地獄である。共同生活の意味がない。かくして、離婚ということになる。家庭生活の崩壊も、結局は、豊かさが生んだ社会のひずみに渦巻く、どろどろとした人間の欲に、その原因の一端があるのかもしれない。
雄と雌。男と女。この二つに分化した存在は、「くっついては離れ、離れてはくっつく」という行動を永遠に繰り返す生き物なのかもしれない。動物的本能として、ただそれだけならいいのだろうが、「感情」と「金」というやっかいな代物が、いつも付きまとっている。人間の不幸はそこから始まった。逆に幸をつかむ人もいるわけだが・・・・。
離婚もさながら、新たなる伴侶を求めて、熟年再婚をする人も増えているそうな。やはり晩年は一人では淋しいのだろう。少なくとも、心を許せる好きなタイプと巡り会い、欲くを言えば老後資金の潤沢な人と結ばれたいという。そりゃーーー、願ったりかなったりだ。ただ、世の中、皆が皆、そういけば良いのだが、そんなに甘いもんじゃありませんぞ。これこそ時の運。出会い。邂逅だ。時間をかけて気長に探すことが肝要。そうは言っても、いざ見つかったときは浦島太郎。花咲かじじい、花咲かばばーになっているぜ。
ちょっときつく書きすぎたようだ。しからば、おまえはどうなんだ?。おまえ?。おまえとは僕の事か?。今の僕に離婚も再婚もない。ただ、ひたすらに生きる。「生」、来たらば生にまかせ、「死」、来たらば死に任す。そう生きたいものだ。うんんんん・・・・?、それじゃああ、あまりにかっこよすぎるか?。あああ、宇宙のどこかにいるメーテルちゃんに早く会いたいぜ!!。たとえ、白髪となっても、もしくはつるりんとなっても。これが本音である。
話は変わるが、さっき、テレビを見ながら朝食を食べていた。熟年離婚と熟年再婚の報道をやっていた。何でも2007年に年金法が改正されるそうな。その時まで離婚を引き延ばし、改正後、離婚に踏み切る。いわゆる離婚待機族がいて、改正後に「どーーーっ」と熟年離婚が増えるらしい。その心はいったい何だ?。いわずもがな、離婚後、前夫の年金の半分はいただこういう腹づもりである。なるほどそうか・・・・。
嘆かわしい。いままで、連れ添ってきた云十年という歳月は何だったのか?。あきらめと後悔の連続だったというのか?。綾小路君麻呂さんの漫談を思い出す。「若い頃はきれいでした。一緒にいるだけで楽しかった。結婚して40年。今では一緒にいるだけで、息切れ、目眩、動悸。会社で安定剤一錠。家で三錠」。女性の立場から言えば、「「今では、夫がすするお茶の音さえ嫌になり、いちど入れてみたいトリカブト」。こうなりゃー、もう地獄である。共同生活の意味がない。かくして、離婚ということになる。家庭生活の崩壊も、結局は、豊かさが生んだ社会のひずみに渦巻く、どろどろとした人間の欲に、その原因の一端があるのかもしれない。
雄と雌。男と女。この二つに分化した存在は、「くっついては離れ、離れてはくっつく」という行動を永遠に繰り返す生き物なのかもしれない。動物的本能として、ただそれだけならいいのだろうが、「感情」と「金」というやっかいな代物が、いつも付きまとっている。人間の不幸はそこから始まった。逆に幸をつかむ人もいるわけだが・・・・。
離婚もさながら、新たなる伴侶を求めて、熟年再婚をする人も増えているそうな。やはり晩年は一人では淋しいのだろう。少なくとも、心を許せる好きなタイプと巡り会い、欲くを言えば老後資金の潤沢な人と結ばれたいという。そりゃーーー、願ったりかなったりだ。ただ、世の中、皆が皆、そういけば良いのだが、そんなに甘いもんじゃありませんぞ。これこそ時の運。出会い。邂逅だ。時間をかけて気長に探すことが肝要。そうは言っても、いざ見つかったときは浦島太郎。花咲かじじい、花咲かばばーになっているぜ。
ちょっときつく書きすぎたようだ。しからば、おまえはどうなんだ?。おまえ?。おまえとは僕の事か?。今の僕に離婚も再婚もない。ただ、ひたすらに生きる。「生」、来たらば生にまかせ、「死」、来たらば死に任す。そう生きたいものだ。うんんんん・・・・?、それじゃああ、あまりにかっこよすぎるか?。あああ、宇宙のどこかにいるメーテルちゃんに早く会いたいぜ!!。たとえ、白髪となっても、もしくはつるりんとなっても。これが本音である。
コメント