今日はすこぶる良い天気。暑からず寒からず。恐らく花見の絶好日よりだろう。僕はと言えば、午後から仕事。仕事の後は、四人で囲むおつきあいが待っている。
四人で囲むと言えば麻雀だ。主催者はなんと、80歳がらみにおばあちゃん。と言っては失礼か?。会社の女社長さんである。めっぽう麻雀が好きで、旧事務所跡に麻雀部屋をこしらえ、電動卓が備え付けてある。麻雀はぼけ防止になり、かつ指をこまめに動かすから健康にも良い。
女社長を筆頭に、後の二人はいい歳をしたクライアントと○○先生だ。僕が一番若造である。○○先生は、仕事上の先輩であり、クライアントを紹介してくれる。僕にとっては飯の種となる先生である。
かといって、麻雀で手抜きすることは禁物。失礼である。我が実力をめいっぱいに発揮せねばならない。勝も負けるも時の運だ。それぞれの性格が卓上にあらわれ面白い。今だからこうやって、平気で冷静に文章が書けるが、実際現場ではこうは行かない。
牌の一振り、一振りに一喜一憂しながら進行していく。女社長が「はい、リーチ」と大きな声で叫ぶ。その声にほだされて、思わず当たり牌がぽろり。女社長が叫ぶ。普通なら「ロン」だが、社長の場合は「はい、それ」である。いやあ、その言葉はショックである。「ええーーつ」と牌をのぞき込むと、見事な手。ドラガ何枚もついている。いやはや心の臓に悪いぜ。
中には、牌を捨てるたびに、牌を卓上にたたきつける人もいる。「これはどうだ?」ということなんだろう。僕も人のことばかり言えない。リーチをかけるときは、「うんんん、いくかーーー、リーチだ」と言って、かなり声を上げる。声はいいが、顔は盤面からそらしている。何という心の弱さ。度胸のなさ。臆病者。卓上になんの変化もない。僕はさらにつぶやく。「おや、とおったか?」と。安堵の一時だ。後は、「わお−−」と言いながら、ツモを狙っていく。
いつぞや、面白いことがあった。僕も言われて気がついたのだが、「リーズモ即いっぱつ、満貫」と言ったら、「即といっぱつ」は同じじゃないかと指摘され、「ありゃ、そうでした」ということで、満貫取り消しだ。うれしさのあまり興奮していると、何を言ったのか覚えていないから始末に悪い。
まあ、こんな調子で、先日は朝の10時から午後8時くらいまで、延々と卓を回転した。「遊んでいると疲れ知らず」とはまさにその通りだ。これくらい真剣に仕事もすれば、業績が伸びるんだが、そうは行かないところが人生。
女主人も疲れ知らずで、ほんにご苦労様でした。ちなみに、先日は卓が故障し、あれこれといじったが直らず、手混ぜの麻雀。皆々、積み上げの早いこと。慣れていない僕はいつも最後。その故障していた卓が直ったと女主人から連絡があり、今日の再挑戦と相成ったわけである。僕は二連勝しているから、むげに断るわけにもいかない。よし、今日も返り討ちかー・・・・・。
おっと、こういう考えはいけない。僕はいつも思うのだが、麻雀の手は素直でなければいけないようだ。変に小細工するよりは自然体。流れるままにひたすらに。正直者の頭に正直の神宿る。そうすることによって、「つき」が自然と回ってくる。後は「つき」をどう生かすかだ。そこが技量なのかもしれない。
そう打てりゃーーー最高なんだが。欲の権化とかした僕は何度も痛い目に。負けるよりは勝つが良いに決まっている。その執着が命取りになってしまう。女主人の細長い、しわびた手が「今や遅し」と僕を誘っている。
自然体、自然体。自然体だ。今日はその心でいこう。
四人で囲むと言えば麻雀だ。主催者はなんと、80歳がらみにおばあちゃん。と言っては失礼か?。会社の女社長さんである。めっぽう麻雀が好きで、旧事務所跡に麻雀部屋をこしらえ、電動卓が備え付けてある。麻雀はぼけ防止になり、かつ指をこまめに動かすから健康にも良い。
女社長を筆頭に、後の二人はいい歳をしたクライアントと○○先生だ。僕が一番若造である。○○先生は、仕事上の先輩であり、クライアントを紹介してくれる。僕にとっては飯の種となる先生である。
かといって、麻雀で手抜きすることは禁物。失礼である。我が実力をめいっぱいに発揮せねばならない。勝も負けるも時の運だ。それぞれの性格が卓上にあらわれ面白い。今だからこうやって、平気で冷静に文章が書けるが、実際現場ではこうは行かない。
牌の一振り、一振りに一喜一憂しながら進行していく。女社長が「はい、リーチ」と大きな声で叫ぶ。その声にほだされて、思わず当たり牌がぽろり。女社長が叫ぶ。普通なら「ロン」だが、社長の場合は「はい、それ」である。いやあ、その言葉はショックである。「ええーーつ」と牌をのぞき込むと、見事な手。ドラガ何枚もついている。いやはや心の臓に悪いぜ。
中には、牌を捨てるたびに、牌を卓上にたたきつける人もいる。「これはどうだ?」ということなんだろう。僕も人のことばかり言えない。リーチをかけるときは、「うんんん、いくかーーー、リーチだ」と言って、かなり声を上げる。声はいいが、顔は盤面からそらしている。何という心の弱さ。度胸のなさ。臆病者。卓上になんの変化もない。僕はさらにつぶやく。「おや、とおったか?」と。安堵の一時だ。後は、「わお−−」と言いながら、ツモを狙っていく。
いつぞや、面白いことがあった。僕も言われて気がついたのだが、「リーズモ即いっぱつ、満貫」と言ったら、「即といっぱつ」は同じじゃないかと指摘され、「ありゃ、そうでした」ということで、満貫取り消しだ。うれしさのあまり興奮していると、何を言ったのか覚えていないから始末に悪い。
まあ、こんな調子で、先日は朝の10時から午後8時くらいまで、延々と卓を回転した。「遊んでいると疲れ知らず」とはまさにその通りだ。これくらい真剣に仕事もすれば、業績が伸びるんだが、そうは行かないところが人生。
女主人も疲れ知らずで、ほんにご苦労様でした。ちなみに、先日は卓が故障し、あれこれといじったが直らず、手混ぜの麻雀。皆々、積み上げの早いこと。慣れていない僕はいつも最後。その故障していた卓が直ったと女主人から連絡があり、今日の再挑戦と相成ったわけである。僕は二連勝しているから、むげに断るわけにもいかない。よし、今日も返り討ちかー・・・・・。
おっと、こういう考えはいけない。僕はいつも思うのだが、麻雀の手は素直でなければいけないようだ。変に小細工するよりは自然体。流れるままにひたすらに。正直者の頭に正直の神宿る。そうすることによって、「つき」が自然と回ってくる。後は「つき」をどう生かすかだ。そこが技量なのかもしれない。
そう打てりゃーーー最高なんだが。欲の権化とかした僕は何度も痛い目に。負けるよりは勝つが良いに決まっている。その執着が命取りになってしまう。女主人の細長い、しわびた手が「今や遅し」と僕を誘っている。
自然体、自然体。自然体だ。今日はその心でいこう。
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