時を経ての再会。楽しからずや。
2006年4月29日 日常いよいよ大型連休だ。世間では9連休の長い休みになるところもある由。うらやましい限りだ。とは言いつつ、我が超零細企業でも、パートさんに9連休を告げた。ただ、僕にはほとんど休みがない。人様の楽しげに遊ぶ様を見ながら、ひたすら仕事だ。サラリーマンの時代を思い出す。結構、長い連休があった。連休は良いが、当時はなにせ金がなかった。メーテルのごとき絶世の美女と連休を終日、過ごすこととなれば、質屋にでも通って、金を工面する所なんだが、一向にその気配もなかった。今は、幾ばくかの金はあっても暇がない。世の中はうまく出来ていることよ。
僕は時々思う。この時期の長期連休なんか止めてしまい、もっと、正月の休みを長くして欲しいと。大晦日の除夜の鐘を聞いて、新年があけ、ほんの数日で仕事始めだ。「一年の計は元旦にあり」とか言うが、そうやすやすと計がたつわけでもない。やはり、十日から二週間くらいの日・時が必要だ。じっくりと、去年を振り返り、エネルギーを充填し、綿密に一年の計をたて、「さあーーやったるぜーー」と、勢いよく娑婆世界に飛び出す。それまでの時間が必要なんだよなーーー。
お上にもの申しても、長年培った習慣が変わるわけでもない。となると、問題は自分をどう律するかである。分相応に身を粉にして、労働にいそしむしかない。えいこら、えいこらと。結局、結論はそこへ落ち着く訳だ。
昨夜は、さる同業者の結婚式を機に、十数年ぶりの友人達に再会した。同じ釜の飯を食った仲間である。じつに懐かしかった。皆それぞれに齢を重ねていたが、面影が至る所に残っている。酒を酌み交わしながら、ただただ笑い転げた。皆、すでに山の神を有し、数人の子等の父親になっていた。そうだよなーーー。いつまでも、あの時の若造であるはずがない。見事、大人に変身したわけだ。僕も例外ではないが、未だに、とっちゃん坊やとはこれ如何に?。
まああ、それぞれがそれぞれの世界で羽ばたいているわけだ。これに勝る生き方はないだろう。僕も更なる精進を重ねることにしよう。そう思った友との再会だった。
時流れ、まぶたに宿る 釜の飯
時を経ての再会は、過去にさかのぼったり、現実に戻ったりで、複雑な心境になるものだ。やはり、皆、山の神だけは怖いようだ。確かにそれは言えている。
僕は時々思う。この時期の長期連休なんか止めてしまい、もっと、正月の休みを長くして欲しいと。大晦日の除夜の鐘を聞いて、新年があけ、ほんの数日で仕事始めだ。「一年の計は元旦にあり」とか言うが、そうやすやすと計がたつわけでもない。やはり、十日から二週間くらいの日・時が必要だ。じっくりと、去年を振り返り、エネルギーを充填し、綿密に一年の計をたて、「さあーーやったるぜーー」と、勢いよく娑婆世界に飛び出す。それまでの時間が必要なんだよなーーー。
お上にもの申しても、長年培った習慣が変わるわけでもない。となると、問題は自分をどう律するかである。分相応に身を粉にして、労働にいそしむしかない。えいこら、えいこらと。結局、結論はそこへ落ち着く訳だ。
昨夜は、さる同業者の結婚式を機に、十数年ぶりの友人達に再会した。同じ釜の飯を食った仲間である。じつに懐かしかった。皆それぞれに齢を重ねていたが、面影が至る所に残っている。酒を酌み交わしながら、ただただ笑い転げた。皆、すでに山の神を有し、数人の子等の父親になっていた。そうだよなーーー。いつまでも、あの時の若造であるはずがない。見事、大人に変身したわけだ。僕も例外ではないが、未だに、とっちゃん坊やとはこれ如何に?。
まああ、それぞれがそれぞれの世界で羽ばたいているわけだ。これに勝る生き方はないだろう。僕も更なる精進を重ねることにしよう。そう思った友との再会だった。
時流れ、まぶたに宿る 釜の飯
時を経ての再会は、過去にさかのぼったり、現実に戻ったりで、複雑な心境になるものだ。やはり、皆、山の神だけは怖いようだ。確かにそれは言えている。
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