梅雨の合間に思ったこと。
2006年6月9日 日常梅雨の合間に思ったこと。
相変わらず忙しい毎日が続いている。体も、すこぶるとまでは行かないが好調。神・仏に感謝だ。世の中、上昇機運の景気が続いている?、こんな田舎でも動きが活発になってきた。事業家たちが、「それいけーーーワンワン」と、設備投資意欲をあらわにしている。
こちとらも、そのおこぼれに預かって、「ニャンニャン」と小さく吠えている。だが、以前も書いたが、どうも触手が動かない仕事もある。資料不足のうえ処理を急がされる。締め切り間近な事が多く、おまけに報酬をたたかれる。これじゃあ、やっとられませんぜーー。それでも引き受けなくてはならない。超零細事業主としては、一度断ると、後が続かないからである。悲しいかな---オーメーン。おっと、アーメーンか?。
それはそうと、目を転ずれば、世の中、陰惨な事件で満ち満ちている。肉親や年端もいかない子等が犠牲になっている。人間も動物だが、人間は他の動物以下だ。知能はあっても、その知能が災いして本能以外の欲が芽生えてしまった。
いみじくも、綾小路きみまろさんが、人間には三つの欲があると言った。「食欲、性欲、海水浴」。これには笑ってしまったが、最後の一つは金銭欲かもしれない。人間の貪欲な金銭欲が勝者と敗者をうみ、ひいては格差社会をうみ、それを助長させていく。今の世の中、まさにその様相を呈している。自由で健全な競争による社会の進展は好ましい。そこには少なくとも、思いやりという心が残っている。思いやりという心をなくした社会は悲惨である。我が事のみを考え、他人と比較し、日々、物欲のみで奔走する野獣社会。これじゃああ、子供も立派に育つはずもない。親が野獣なら子も野獣にならざるを得ない。
色んな事件をみて思うのだが、動機解明、動機解明と言って、個人の生い立ちをマスコミやらは追う。動機が何であれ、心底にあるものは「思いやりという心の欠如」であるような気がする。キリストが言った。「人はパンのみに生きるのみにあらず」と。含蓄のある言葉だ。パンを金銭欲とするならば、それ以外の物とは、思いやりの心に違いない。
教育現場でも、ひところ、「ゆとりある教育」というスローガンが掲げられた。ゆとりとは一体なんだ。精神的、物質的両面を狙った言葉なのかもしれないが、精神的な面が置き去りにされてきたようだ。ゆとりに奔走したのは子供達ではなく大人達ではなかったのか?。そのことがますます子供の心をゆがめ、不自由で不健全な社会を構築してしまったように思える。
偉そうな事は言えないが、やはり、「思いやりという心」をもった社会を構築するにはどうすれば良いかを真剣に考えることが必要だ。脱皮すべきはまずは大人。その見本が子々孫々伝えられれば地球という星も安泰。人間も安泰。動物も安泰。皆々、安泰だ。
相変わらず忙しい毎日が続いている。体も、すこぶるとまでは行かないが好調。神・仏に感謝だ。世の中、上昇機運の景気が続いている?、こんな田舎でも動きが活発になってきた。事業家たちが、「それいけーーーワンワン」と、設備投資意欲をあらわにしている。
こちとらも、そのおこぼれに預かって、「ニャンニャン」と小さく吠えている。だが、以前も書いたが、どうも触手が動かない仕事もある。資料不足のうえ処理を急がされる。締め切り間近な事が多く、おまけに報酬をたたかれる。これじゃあ、やっとられませんぜーー。それでも引き受けなくてはならない。超零細事業主としては、一度断ると、後が続かないからである。悲しいかな---オーメーン。おっと、アーメーンか?。
それはそうと、目を転ずれば、世の中、陰惨な事件で満ち満ちている。肉親や年端もいかない子等が犠牲になっている。人間も動物だが、人間は他の動物以下だ。知能はあっても、その知能が災いして本能以外の欲が芽生えてしまった。
いみじくも、綾小路きみまろさんが、人間には三つの欲があると言った。「食欲、性欲、海水浴」。これには笑ってしまったが、最後の一つは金銭欲かもしれない。人間の貪欲な金銭欲が勝者と敗者をうみ、ひいては格差社会をうみ、それを助長させていく。今の世の中、まさにその様相を呈している。自由で健全な競争による社会の進展は好ましい。そこには少なくとも、思いやりという心が残っている。思いやりという心をなくした社会は悲惨である。我が事のみを考え、他人と比較し、日々、物欲のみで奔走する野獣社会。これじゃああ、子供も立派に育つはずもない。親が野獣なら子も野獣にならざるを得ない。
色んな事件をみて思うのだが、動機解明、動機解明と言って、個人の生い立ちをマスコミやらは追う。動機が何であれ、心底にあるものは「思いやりという心の欠如」であるような気がする。キリストが言った。「人はパンのみに生きるのみにあらず」と。含蓄のある言葉だ。パンを金銭欲とするならば、それ以外の物とは、思いやりの心に違いない。
教育現場でも、ひところ、「ゆとりある教育」というスローガンが掲げられた。ゆとりとは一体なんだ。精神的、物質的両面を狙った言葉なのかもしれないが、精神的な面が置き去りにされてきたようだ。ゆとりに奔走したのは子供達ではなく大人達ではなかったのか?。そのことがますます子供の心をゆがめ、不自由で不健全な社会を構築してしまったように思える。
偉そうな事は言えないが、やはり、「思いやりという心」をもった社会を構築するにはどうすれば良いかを真剣に考えることが必要だ。脱皮すべきはまずは大人。その見本が子々孫々伝えられれば地球という星も安泰。人間も安泰。動物も安泰。皆々、安泰だ。
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