いよいよ明日が月末。あれよあれよと言う間に時が流れていく。僕も流れ流れてここまでやってきた。7ヶ月もたつと、年頭に立てた僕の目標が何だったのかも定かには思い出せない。今更、1月に戻り備忘録を読み返す気も起こらない。ただ一つ言えることは。つつがなく健康で今日までこれたことだ。これに勝る目標達成はないだろう。
今朝の新聞を見て、ちょっとショッキングな事がかかれていた。さる病院での終末医療のことである。延命措置を行わず、数人の赤ちゃんが親に看取られ靜にこの世を去った。僕の叔母もホスピス病棟で亡くなった。終末医療に対する思いには複雑なものがある。叔母を見舞ったとき車いすを押してあげた。少しだけ院内を散歩した。とある水槽の中で元気よく泳ぎ回る魚の姿を叔母はしげしげと眺めた。その心境とはいかなるものなのか?。もっと、生きたいとおもったのだろうか?。それとも、自分の生きてきた足跡に思いをはせたのだろうか?。分からない。
ただ、年端もいかない赤ちゃんの場合は、生を受けたということも知らないまま、生に幕を閉じる。生の重さに変わりはないが、そのことが幸せなことなのか?どうかは分からない。
昨今、子供にからんだ悲惨な事件が起きている。悲しい事だ。子供が生まれると、昔は「子宝だ。子宝だ。子宝を授かった」と、小躍りして一様に喜んだ。いまや、「子宝」という言葉は死語になってしまったのだろうか?。
その言葉に追い打ちをかけるように、いまや超少子化時代。綾小路きみまろさんが漫談で言っていた。「どうか、皆さん、子供を産んでください。子供を作ることは簡単です。眠っていても出来ます」と。これには笑ったが、要は子供が出来ても、その子供をいかに育てるかという環境が不十分なため、悲惨な子供の事件が多いのかもしれない。大人達は疲れている。はたまた、きな臭い世情に翻弄されながら生きる事を余儀なくされ、目先にとらわれ、目標を失っていることも大きな要因かもしれない。
僕も目標を忘れてしまうくらいだから、大きな事は言えない。金、名誉、地位とか言ったものではなく、まずは「健康な体に健全な精神が宿る」を、生きていく上での原点にしたいものだ。
今朝の新聞を見て、ちょっとショッキングな事がかかれていた。さる病院での終末医療のことである。延命措置を行わず、数人の赤ちゃんが親に看取られ靜にこの世を去った。僕の叔母もホスピス病棟で亡くなった。終末医療に対する思いには複雑なものがある。叔母を見舞ったとき車いすを押してあげた。少しだけ院内を散歩した。とある水槽の中で元気よく泳ぎ回る魚の姿を叔母はしげしげと眺めた。その心境とはいかなるものなのか?。もっと、生きたいとおもったのだろうか?。それとも、自分の生きてきた足跡に思いをはせたのだろうか?。分からない。
ただ、年端もいかない赤ちゃんの場合は、生を受けたということも知らないまま、生に幕を閉じる。生の重さに変わりはないが、そのことが幸せなことなのか?どうかは分からない。
昨今、子供にからんだ悲惨な事件が起きている。悲しい事だ。子供が生まれると、昔は「子宝だ。子宝だ。子宝を授かった」と、小躍りして一様に喜んだ。いまや、「子宝」という言葉は死語になってしまったのだろうか?。
その言葉に追い打ちをかけるように、いまや超少子化時代。綾小路きみまろさんが漫談で言っていた。「どうか、皆さん、子供を産んでください。子供を作ることは簡単です。眠っていても出来ます」と。これには笑ったが、要は子供が出来ても、その子供をいかに育てるかという環境が不十分なため、悲惨な子供の事件が多いのかもしれない。大人達は疲れている。はたまた、きな臭い世情に翻弄されながら生きる事を余儀なくされ、目先にとらわれ、目標を失っていることも大きな要因かもしれない。
僕も目標を忘れてしまうくらいだから、大きな事は言えない。金、名誉、地位とか言ったものではなく、まずは「健康な体に健全な精神が宿る」を、生きていく上での原点にしたいものだ。
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