2007年が明けて一週間が過ぎた。世間では四日頃から仕事始めの由。僕は正月二日から今日まで連続でお仕事。仕事様々だ。涙が出るぜ。あああ、因果な商売だ。休みが欲しい。そうは思えどクライアントがいる以上、仕事は仕方の無いことだ・・・。
そんな中、四日の日、とんぼ返りで故郷の地を踏んだ。2007年の初頭にあたり、そのことを書いておこう。弟が母と仲むつましくやっていた。茶碗洗いやら、買い物やら、母が「しなくていいから」というのに、何でも率先してやっているようだ。母に無理をさせまいという弟の思いには頭が下がる。
母は土産品店をやっていたが、今は廃業し、数少なくなった在庫を処分するため、店舗を半開きの状態にしている。その店舗へ僕はそそくさと車を着け、かき集めてもってきた土産をおろした。
まずは正月の挨拶をして、則、仏壇へお参りだ。線香を立て、「チーン」と鈴ををならして合掌。心の中で祈る言葉はいつも決まっている。「父さん、ただいま帰りました。元気でやっています」。これだけである。これだけで十分だぜ。何かをお願いしようと、報告しようと、要は心である。
背広の内ポケットから、幾ばくかの金を入れておいた祝い袋を取り出し、仏壇へ備えた。「これここに置いておくから」と母に見えよがしに言うと、母は「あんたには何もしてあげんとに、ほんにすまんねーーー」と、いつも同じ事を言う。確かに、弟や兄に比べたら僕の影は幾分かは薄いかもしれない。次男坊とはそういうものだろう?。別にひがんでいるわけではない。苦労しながら大学まで出してくれたり、人生の危機を何度も救ってくれたのもやはり母である。母にとって子供に対する愛情の差なんてあり得ない。弟がちらっと視線を向け、ほほえんだ。
元来、能天気な僕。ほとんど心理分析をすることはないが、弟のほほえみについて考えてみた。「兄いーーー、母さんの為に有り難う。僕はたいしたことは出来ないから、よろしうお願いしまっせ」と、弟はほほえみで表現したように思えた。そんな弟である。
兄とは残念ながら会えなかった。賑やかなだべりと正月料理をついばんだ後、車で30分程度の距離にある叔父の家へ弟と挨拶に行くことになった。叔父は弟と同様に末っ子の為か、弟を無性にかわいがっている。事あるごとに贈り物なんか交換しあっているようだ。僕も時々、最高級品と銘打った「蜂蜜の瓶」をいただいたりしている。
小一時間はいただろうか?。叔父と叔母の健康を祈願して、弟を再び母の所へ届けた。僕はそろそろ帰還の時間が迫っていた。というより、もう何度も会えないだろう弟に、たっぷりと母親のおっぱいでも吸ってもらおうという配慮も若干あった。さらば地球よ・・・・・。宇宙戦艦大和のような心境で故郷を後にした、ちょっと大げさか?。とりもなおさず、刹那ではあったが故郷の地を踏み、弟共々、母と再会出来たことは幸いだった。
そんな中、四日の日、とんぼ返りで故郷の地を踏んだ。2007年の初頭にあたり、そのことを書いておこう。弟が母と仲むつましくやっていた。茶碗洗いやら、買い物やら、母が「しなくていいから」というのに、何でも率先してやっているようだ。母に無理をさせまいという弟の思いには頭が下がる。
母は土産品店をやっていたが、今は廃業し、数少なくなった在庫を処分するため、店舗を半開きの状態にしている。その店舗へ僕はそそくさと車を着け、かき集めてもってきた土産をおろした。
まずは正月の挨拶をして、則、仏壇へお参りだ。線香を立て、「チーン」と鈴ををならして合掌。心の中で祈る言葉はいつも決まっている。「父さん、ただいま帰りました。元気でやっています」。これだけである。これだけで十分だぜ。何かをお願いしようと、報告しようと、要は心である。
背広の内ポケットから、幾ばくかの金を入れておいた祝い袋を取り出し、仏壇へ備えた。「これここに置いておくから」と母に見えよがしに言うと、母は「あんたには何もしてあげんとに、ほんにすまんねーーー」と、いつも同じ事を言う。確かに、弟や兄に比べたら僕の影は幾分かは薄いかもしれない。次男坊とはそういうものだろう?。別にひがんでいるわけではない。苦労しながら大学まで出してくれたり、人生の危機を何度も救ってくれたのもやはり母である。母にとって子供に対する愛情の差なんてあり得ない。弟がちらっと視線を向け、ほほえんだ。
元来、能天気な僕。ほとんど心理分析をすることはないが、弟のほほえみについて考えてみた。「兄いーーー、母さんの為に有り難う。僕はたいしたことは出来ないから、よろしうお願いしまっせ」と、弟はほほえみで表現したように思えた。そんな弟である。
兄とは残念ながら会えなかった。賑やかなだべりと正月料理をついばんだ後、車で30分程度の距離にある叔父の家へ弟と挨拶に行くことになった。叔父は弟と同様に末っ子の為か、弟を無性にかわいがっている。事あるごとに贈り物なんか交換しあっているようだ。僕も時々、最高級品と銘打った「蜂蜜の瓶」をいただいたりしている。
小一時間はいただろうか?。叔父と叔母の健康を祈願して、弟を再び母の所へ届けた。僕はそろそろ帰還の時間が迫っていた。というより、もう何度も会えないだろう弟に、たっぷりと母親のおっぱいでも吸ってもらおうという配慮も若干あった。さらば地球よ・・・・・。宇宙戦艦大和のような心境で故郷を後にした、ちょっと大げさか?。とりもなおさず、刹那ではあったが故郷の地を踏み、弟共々、母と再会出来たことは幸いだった。
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