結婚披露宴への旅、第三弾を記録しておこう。僕たちは「今や遅し」と、新郎新婦の入場を待ち構えていた。と、司会者の声とともに、華麗なる音楽が流れ、係りのものに引率されながら新郎新婦が入場してきた。昔なら、「たんす長持ち歌」とかの尺八の音にあわせて、厳かに入場するのだろうが、今や時代は変わった。リズミカルな音楽にあわせて僕たちも手拍子だ。新郎は羽織はかま、新婦は着物に、鉄砲ゆりの親分みたいな白い角隠しをかぶっていた。「角隠しかあーーーー」。時代とともに、角隠しの形も変わっていくようだ。最近のものはやはり、デザインもしゃれているようだ。

壇上に設けられた席に座ると、司会者の音頭により、新郎側、新婦側の代表者がそれぞれに挨拶を述べた。企業の宣伝文句に始まり、後半の終わり近くに新郎・新婦の仕事の紹介と、期待の星である旨が告げられた。本人たちの賞賛よりも、企業の賞賛が優先するところが、いかにも日本的だと、友人たちともども笑ったことである。

ワインで乾杯の後、祝宴のはじまりだ。昔なら、仲人の挨拶に始まり、まだまだ演説が続いているはずだが、挨拶も30分程度が限度である。そういう意味では仲人なしの結婚も悪くはない。テーブルの隣保者たちと、「めでたい、めでたい」と話しながら焼酎に舌鼓をうった。こういう場所では、ママさんがいるわけでもなく、コンパニオンのお姉さまたちに上品にお代わりを所望するのが精一杯。久しぶりにおめかしした背広に、粗相でもすれば、山ノ神のそしりをうけることは必定。慎重に、慎重に、上品に振舞うは当然のことだ。

場も架橋に入り、定番の日本舞踊や、余興が始まった。会社の同僚たちが、あの手この手で新郎・新婦を祝った。こういう光景はいつも楽しく、ほほえましく思える。と同時に、結婚という人生にとっての大きなイベントを同じ釜の飯を食う同僚たちが、心より祝ってくれるその思いやりに、日本という国もまだ捨てたものではないなと思えた。

さあ、いよいよ、新郎・新婦が両親への感謝の言葉を述べる時間がやってきた。一番苦手な場面。新郎側は父親がすでに他界しており、母親への感謝の言葉を涙ながらに告げた。会場から「がんばれ」という言葉が飛んだ。なんとか気を持ち直して終了。僕も友人たちもハンカチで目頭をぬぐった。次は新婦の番。さすがに、女性。女性は強しとはこのことだ。冷静なる口調で、淡々と両親への感謝の言葉を延べ、最後の章になり突如、涙ながらに今日に至るまで、けんかしながら協力してくれた両親へ、心からの感謝を述べた。いやああ、お見事。経験のない僕とはいえ、ぼろぼろと泣けてしまった。友人たちも同じだ。会場はもちえろんのこと。

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