今日は久々に家の留守番だ。いつも山の神に迷惑をかけているから、たまの留守番もいいだろう。一人でやりたいこともいっぱいある。そう思い、気がつく事を片っ端から実行した。たった今、ゴミくずを焼却炉へ。その後、庭に散った枯葉が気になり、ちょっくら箒で掃き集め、とりあえずゴミ箱へポンだ。部屋に戻り、人一人っ子いない外を眺めては大きなため息・・・。
一人の留守番って、やってみると、意外にさびしいぜ・・。

さて、何をしようか?。仕事は暇であがったり。確定申告書は作成済み。パソコンに向かって何かを書かなくちゃと、これまた今実行中。書く材料もさしてない。そうそう、今日は偶然といえば偶然か?、先輩の奥方、二人から電話があった。一人は入院中のボスの奥方。病状は一進一退だが、申告書に目を通してもらいたいとの依頼。「わかりました」と快く返事した。今日の夕方にでも行っててみるつもりだ。多分、山の神はその時間も不在だろう。
僕も一日中、家の中では気がめいってしまうぜ。とりあえず、戸締りして、I have to go to zhe hospital. である。

そうこうしていると、別の先輩の奥方から電話。ボスと同様に、かわいがってもらった先輩の一人である。ボスよりも年下だが、痴呆症が進んで、最近はリハビリに毎日通っているとのこと。僕はこの先輩に囲碁の手ほどきを受けた。僕は相変わらず、へぼな打ち手で、何目置いても勝たなかった。その先輩より、昨年はりっぱな碁盤と碁石をいただいた。結構、高価なものである。先輩自身は、奥方の父親が指物師というか碁盤を製作する職人だったので、それはそれは立派な碁盤をもらっていた。さすがに、それを僕にくれることは、天と地がひっくり返ったら、あるやもしれぬ。期待しないで待っておこう。

とりあえず、こちらの相談も申告のことだった。僕はさして、詳しいわけでもないが、自らのことは自らでやっているので、少しは相談に応じることができるだろう。ある程度書類がそろったら、再度電話するとの事。待つことにしよう。

それはそうと、最近、人間の「老い」について、考えることがある。我が親の老化をはじめ、かわいがってもらった先輩諸氏が、病に倒れたり、痴呆の症状が表れたりで、なんとも悲しくなる。古の英雄たちは不老不死の特効薬を求め、奔走したが、そんなものがあるはずもなく、せめて、歴史に名を残すことで面目を保った。僕たち平々凡々の人間は歴史に残す名とてない。ただただ、日々、時の流れに沿って、老いて行き、一生を終えることになるわけだ。皆が皆、その道程をたどるわけだ。

よく偉い人が、「人生にとって大事なことは、生きた長さではなく、いかに生を燃焼させたかである」とか言う。そういうことは皆、百も承知だ。そういうことよりも、人がいつも思っていることは、縁をもったいろんな人たちとの出会いと別れである。そのプロセスに悲しく涙するのだ。と、同時に、老いていくわが身にたいする諦念の気持ち。これらが、人間のいつわざらる気持ちである。

ああ、それにしても、独り身の留守番はさびしいぜ・・・・。だれか愛の手を差し伸べてくれないかしら?

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

最新のコメント

この日記について

日記内を検索