五月になって。

2007年5月16日 日常
五月も中旬を過ぎた。連休が終わり、母の日も終わった。あと待たれるのは影の薄い父の日か?。なんでも、国は秋のゴールデンウィークの設定を模索中とか?。休みが増えるのは結構なことだが、それは大企業向け。中小企業や、我がごとき超零細企業にとっては、世の中が動かねば、死活問題である。格差社会の是正どころか、格差はますます広がっていくのではと懸念される。その言葉に反するようだが、世の中は史上空前の好景気だとか。テレビでやっていたが、お金は一体どこへ行っているのだろう?。サラリーマン諸氏の懐はちっとも増えていないという。我が零細企業でも、未収金が増え、現玉が流入してこない。「何でだ?」と思う。ということは儲かっているのは一部の企業だけか?ということになる。あああああーー、はかないぜ。嘆いても仕方がないか。馬車馬みたいに、汗水流して働くことが肝心のようだ

僕のゴールデンウィーク。何のことはない。例年通りに仕事。人が休みの時に仕事とは、因果な商売である。泣き言を言っておれないのが我が仕事。天が与えた仕事でもあるし、これなくしてはおまんまの食い上げだ。さすがに、神様もそんな僕を哀れと思ったのか、一日だけ自由なる時間を与えてくれた。しかるに、人間って不思議な者だ。その自由なる時間が、かえって束縛になり、心は 右往左往するばかり。これをやろう。あれをやろうと思っても、どれも手につかない。すでに、体が仕事貼りになっているから

母の日・・・・。良い言葉であり、良い習慣である。この日が近づくと否が応でも母のことを思い出す。女性には花が最高の贈り物だ。兄嫁は決まってカーネーションを送るそうだ。我が山の神は、昔は衣類等を買って送っていたようだが、最近は金にしたようだ。母に聞くと、「そりゃああ、先立つもの・・・お金がいいわ」と言う。母もさるもの、ひっかくもの。アメリカではカーネーションではなく、バラの花だそうだ。さすがに、情熱の国、アメリカだ。恥ずかしや、何故日本ではカーネーションなのか知らない。花言葉に意味があるのだろう。検索で調べればわかることだが、あえて、今はそうしたくない。

ということで、自分なりにカーネーションに意味付けをした。カーネーションの「カー」は母さんのカー。「ネー」は姉さんのネー。「ション」は、しょんべん小僧のション。いわゆる、家族の愛を表わす花がカーネーションである。こじつけが、ちょっときつかったか?。

ところで、テレビのニュースで見たが、高校生の男の子が、母親の首を切断して、自首するという痛ましい事件があった。どういう事情があったのか、定かではない。ただ、色んな事件があったとき、いつも感じることは「目線」の違いということである。他人であれ、家族であれ、目線を同じくして話し、行動しなければ、心は通じない。子供と話すときは、自分も子供になり、子供の目線と同じくする。地域社会にあっても、おじいさんや、おばあさんと話すときは自分も、おじいさん、おばあさんになったつもりで、教室で授業をする先生は、自分も生徒になったつもりで、父と子、母と子も、自分が子供になったつもりで・・・・・。こそういう生活パターンが定着すると、おそらくは、心の悩みや、病も少なくなるのではと思う。病んだ人の心を上の目線からではいやすことはできないだろう。

久しぶりの日記で思わず興奮してしまった。最後に「父の日」について言及したいが、影の薄い父の日だ。紙面の都合もあり、この辺でやめておこう。

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