六月もそれなりに生きてきました。
2007年6月30日 日常 六月も今日で終わりだ。ただただ、忙しかった。とは言うものの、それなりに充実していた。結構、飲みにも出かけたし、徹夜さながら、仕事にも埋没した。仕事をして一番うれしいことは、何といっても、クライアントに喜ばれることだ。報酬は二の次と言ってもよい。明日へのファイトはクライアントの喜びから生じるといっても過言ではない。そんなことが実現できた六月。まずは六月に乾杯。
それはそうと、ボス(仕事の先輩で父親みたいな人)は 相変わらず病院で寝起きしている。もう二年以上入院していることになる。何度も死にかけたが、不死鳥のようによみがえっている。奥方の余りある看護のせいで、生きながらえているといっても良いだろう。いつも病室で、寝食を共にしているから、病変への対応が素早くできるわけだ。奥方へいくら感謝しても感謝し足らないだろう。
それにしても、夫婦とは変なものだ。病気とはいえ、ボスは結構、亭主関白。「眠い。食べたくない。おい。痛い。痒い。・・・・」。とかなんとか、わがままのし放題。奥方は、いやな顔もせず、「はいはい」としたがっている。いやーーーーご立派。昭和一桁世代の夫婦の姿とはこういうものなのか?。父と母の姿を思い出したが、そうだったような気もする。良くもあり、悪くもあり。見習うべきか、見習わざるべきか?。よくわからない。
テレビか何かで見たが、夫婦というのは一つ屋根の中で暮らしていても、ある程度の距離、空間を置いて過ごしたが良いというようなことを言っていた。確かに老後はそのほうが良いのかもしれない。いつもべったりでは、飽きもしようし、喧嘩も絶え間ないかもしれない。適当な距離こそが、新鮮さと思いやりを育む最大のポイントと言えるかもしれない。ただ、病気の場合はそうもいかないか。
昨夜は、はからずも、「のりちゃん先生」と相まみえた。最近、彼は体調が悪いらしく、ひと月近く会っていなかった。久しぶりに行きつけの小料理屋の暖簾をくぐった。焼酎をあおり、常連客が持参していた手造りの冷酒を頂戴し、二人とも酩酊。明治維新の偉人たちの話で喧々諤々。僕も、無知をまざまざと知り敗北。「これじゃああーーーややっとられませんでーーー」と、二次会へ赴くことに。行く先は決まっていた。
「しゃなりのママ」が経営するラウンジへと足を運んだ。のりちゃんの目的は、超エレガンスで美人のママとの談笑にある。この癒しが、単身赴任の彼を元気つけるのだろう。片や僕は、チーママさんや、20代、30代のX1(エックスワン)の女性たちと、人生論のあれこれをしゃべりあうことになる。時折、歌を所望する。僕の最近のはまり歌は、歌手の名前は忘れたが、「会いたい」という歌である。毎日、車の中で聞いているから、おのずと詩とメロディーを覚えてしまった。
「低い雲広げた冬の夜、あなた突然しんでしまったのーーー。今年も海へ行くといって、いっぱい映画もみるって、約束したじゃない、約束したじゃないーーー、会いたいーーー」。そこで、僕が「うえーーーーーん」と目をおおい、泣く真似をする。「いやまてよ。僕が泣いてどうするんだ。泣くのは女性のほうだぜ」と言って大笑いだ。
それにしても、この歌は良い。こんな愛情深い女性に出会いたいものだと思うが、いやはや、昨今の女性の心はいかに?。先立つものはやはり金か?。そうは思いたくないが、愛がいくら深くても、空気だけを食っては生きていけないしなーー。結論的にいえば調和ということになるのか。
「会いたい」という歌のお返しに、かの名曲、南こうせつさんの「神田川」を僕が熱唱。歌い終えて、X1(エックスワン)の女性の顔を見ると、涙ぐんでいるような・・・・・?。いやーーー気のせいか。すっかり、酔いもさめたところでお開きだ。ふっと、のりちゃんのほうを見ると、しゃなりのママはすでに退散。自分一人のところへ長くとどめておこうというのは、それは無理である。諦めて二人仲良く代行車でご帰還だ。
とりも直さず、明日から一年の後半だ。正月が待ち遠しいぜ。
それはそうと、ボス(仕事の先輩で父親みたいな人)は 相変わらず病院で寝起きしている。もう二年以上入院していることになる。何度も死にかけたが、不死鳥のようによみがえっている。奥方の余りある看護のせいで、生きながらえているといっても良いだろう。いつも病室で、寝食を共にしているから、病変への対応が素早くできるわけだ。奥方へいくら感謝しても感謝し足らないだろう。
それにしても、夫婦とは変なものだ。病気とはいえ、ボスは結構、亭主関白。「眠い。食べたくない。おい。痛い。痒い。・・・・」。とかなんとか、わがままのし放題。奥方は、いやな顔もせず、「はいはい」としたがっている。いやーーーーご立派。昭和一桁世代の夫婦の姿とはこういうものなのか?。父と母の姿を思い出したが、そうだったような気もする。良くもあり、悪くもあり。見習うべきか、見習わざるべきか?。よくわからない。
テレビか何かで見たが、夫婦というのは一つ屋根の中で暮らしていても、ある程度の距離、空間を置いて過ごしたが良いというようなことを言っていた。確かに老後はそのほうが良いのかもしれない。いつもべったりでは、飽きもしようし、喧嘩も絶え間ないかもしれない。適当な距離こそが、新鮮さと思いやりを育む最大のポイントと言えるかもしれない。ただ、病気の場合はそうもいかないか。
昨夜は、はからずも、「のりちゃん先生」と相まみえた。最近、彼は体調が悪いらしく、ひと月近く会っていなかった。久しぶりに行きつけの小料理屋の暖簾をくぐった。焼酎をあおり、常連客が持参していた手造りの冷酒を頂戴し、二人とも酩酊。明治維新の偉人たちの話で喧々諤々。僕も、無知をまざまざと知り敗北。「これじゃああーーーややっとられませんでーーー」と、二次会へ赴くことに。行く先は決まっていた。
「しゃなりのママ」が経営するラウンジへと足を運んだ。のりちゃんの目的は、超エレガンスで美人のママとの談笑にある。この癒しが、単身赴任の彼を元気つけるのだろう。片や僕は、チーママさんや、20代、30代のX1(エックスワン)の女性たちと、人生論のあれこれをしゃべりあうことになる。時折、歌を所望する。僕の最近のはまり歌は、歌手の名前は忘れたが、「会いたい」という歌である。毎日、車の中で聞いているから、おのずと詩とメロディーを覚えてしまった。
「低い雲広げた冬の夜、あなた突然しんでしまったのーーー。今年も海へ行くといって、いっぱい映画もみるって、約束したじゃない、約束したじゃないーーー、会いたいーーー」。そこで、僕が「うえーーーーーん」と目をおおい、泣く真似をする。「いやまてよ。僕が泣いてどうするんだ。泣くのは女性のほうだぜ」と言って大笑いだ。
それにしても、この歌は良い。こんな愛情深い女性に出会いたいものだと思うが、いやはや、昨今の女性の心はいかに?。先立つものはやはり金か?。そうは思いたくないが、愛がいくら深くても、空気だけを食っては生きていけないしなーー。結論的にいえば調和ということになるのか。
「会いたい」という歌のお返しに、かの名曲、南こうせつさんの「神田川」を僕が熱唱。歌い終えて、X1(エックスワン)の女性の顔を見ると、涙ぐんでいるような・・・・・?。いやーーー気のせいか。すっかり、酔いもさめたところでお開きだ。ふっと、のりちゃんのほうを見ると、しゃなりのママはすでに退散。自分一人のところへ長くとどめておこうというのは、それは無理である。諦めて二人仲良く代行車でご帰還だ。
とりも直さず、明日から一年の後半だ。正月が待ち遠しいぜ。
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