九月になってもうた。
2007年9月2日 日常九月になった。たくさんの思い出を残してくれた八月。連日の猛暑にもめげず頑張ってこれた僕に乾杯。九月最初の日曜日。幾分か和らいだ暑さの中で、雷がゴロゴロと鳴っている。この鳴り方では落ちそうにない。雷が無性に怖い僕は、ほっと、胸ををなで下ろす。僕は思い出にひたりながら、人一人っ子いない事務机に向かって、この備忘録をしたためている。
恩師からハガキが届いた。先月の古稀お祝いのお礼と共に、僕が贈った「古稀お祝いの手記」について、苦心の作?、玉稿だと言ってほめてくれた。国語の先生からほめられりゃ、言うことなしだ。ちょっと、面はゆい気がした。
僕も同級会場で撮った写真を先生へ送ろうと思っているが、どうも、今ひとつ気が乗らない。というのも、先生をはさんで右側には奥方。左側には、我がクラスのマドンナといわれた同級生の美女が写っている。二人の女性はにっこり笑っているが、どちらが奥さん?と言われてもよさそうな状況。こりゃ、まずかったか?。考え過ぎかもしれないが、とりあえず、手元に置いて、時々眺めて、僕が堪能することにするか。
世の中に目を転じれば、政治や大相撲の世界のごたごたと、人心を逸した事件ばかりが目立つ。地球環境も最悪の状態だ。「美しい日本は一体どこにありんすや?」と言いたくなる。マスコミの功罪も大きい。何か事があると、「だぼはぜ」みたいに食らいつき、延々と放映する。今、日本人は連日放映される事件には辟易している。むしろ、心温まる人心のふれあいや、力強く生きている日本津々浦々の人々の姿に大いなる夢や期待を抱いているはずだ。そんな姿にこそ、「美しい日本」があるような気がする。
そうそう、忘れずに書いておこう。僕が朝顔と思っていた花は実は夕顔。正確には「夜顔」というらしい。どうもおかしいと思っていた。朝には咲かないで夕方から夜にかけて、真っ白い大輪の花を咲かす。なるほど。うまく名前をつけたものだ。夜顔かあ・・・・・。僕自身の夜顔は、ネオン街で真っ赤な顔をして焼酎をあおっている顔だ。大違いだぜ・・。千鳥足で、真夜中、玄関口にさしかかると、花の夜顔は、待ちくたびれて首がうなだれ気味。おまけに、開かずの間。合い鍵をさがせど、ひとしきり見つからない。これじゃーーー、ダブルパンチだぜ。
九月はそう言うことがなきようにと「アーメン、なんまいだー」と、唱えてはいるが、まだ片足を踏み込んだばかり。どうなることやら?。九月の終わりが楽しみだ・・・。
恩師からハガキが届いた。先月の古稀お祝いのお礼と共に、僕が贈った「古稀お祝いの手記」について、苦心の作?、玉稿だと言ってほめてくれた。国語の先生からほめられりゃ、言うことなしだ。ちょっと、面はゆい気がした。
僕も同級会場で撮った写真を先生へ送ろうと思っているが、どうも、今ひとつ気が乗らない。というのも、先生をはさんで右側には奥方。左側には、我がクラスのマドンナといわれた同級生の美女が写っている。二人の女性はにっこり笑っているが、どちらが奥さん?と言われてもよさそうな状況。こりゃ、まずかったか?。考え過ぎかもしれないが、とりあえず、手元に置いて、時々眺めて、僕が堪能することにするか。
世の中に目を転じれば、政治や大相撲の世界のごたごたと、人心を逸した事件ばかりが目立つ。地球環境も最悪の状態だ。「美しい日本は一体どこにありんすや?」と言いたくなる。マスコミの功罪も大きい。何か事があると、「だぼはぜ」みたいに食らいつき、延々と放映する。今、日本人は連日放映される事件には辟易している。むしろ、心温まる人心のふれあいや、力強く生きている日本津々浦々の人々の姿に大いなる夢や期待を抱いているはずだ。そんな姿にこそ、「美しい日本」があるような気がする。
そうそう、忘れずに書いておこう。僕が朝顔と思っていた花は実は夕顔。正確には「夜顔」というらしい。どうもおかしいと思っていた。朝には咲かないで夕方から夜にかけて、真っ白い大輪の花を咲かす。なるほど。うまく名前をつけたものだ。夜顔かあ・・・・・。僕自身の夜顔は、ネオン街で真っ赤な顔をして焼酎をあおっている顔だ。大違いだぜ・・。千鳥足で、真夜中、玄関口にさしかかると、花の夜顔は、待ちくたびれて首がうなだれ気味。おまけに、開かずの間。合い鍵をさがせど、ひとしきり見つからない。これじゃーーー、ダブルパンチだぜ。
九月はそう言うことがなきようにと「アーメン、なんまいだー」と、唱えてはいるが、まだ片足を踏み込んだばかり。どうなることやら?。九月の終わりが楽しみだ・・・。
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