ボスの葬儀がしめやかに行われた。僕は会場から聞こえる読経を受付の席で聞いていた。会場内は小さな子供がいなかったため、静寂そのもの。来てくれた人たちはそれぞれに、色んな思いを馳せたに違いない。僕の脳裏にも、ボスとの思い出が走馬燈のように駆けめぐった。

ボスの死に顔は美しかった。わずかに唇を開き、目は観音様のように優しく閉じていた。「ええつ、これがボスの顔だったのか?」と、しげしげと眺めた。焼酎を浴びるほど飲み、じゃがら声で歌っていたボスの赤ら顔にはとうてい見えない。「死ねば皆、仏」というが、まさに仏そのものの顔だった。

弟(仕事仲間で僕がそう呼んでいる)が息咳を切って会場に滑り込んできた。仕事を手っ取り早く済ませて駆けつけたとのこと。相変わらず、そそっかしい弟である。

小一時間で葬儀は滞りなく終わった。最後に弔電の披露があった。全国47都道府県にある会の会長名で弔電が届いていた。組織というものは、そういうものだろう。面識はそう無くても、連帯意識を重んじる。その連帯意識が会の発展を促す原動力ともなるわけだ。

葬儀の締めくくりとして、進行役の女性の声で、ボスの最後の言葉が会場に披露された。「忍(しのぶー)忍・・・・」と、ボスは奥方の名前を叫び、静かに息を引き取ったとのこと。僕は既に聞いていたが、涙を禁じ得なかった。
さすがにボスだ。最後の締めくくりとして、これ以上の言葉はないだろう。会場からも、すすり泣きの声が聞こえた。

葬儀が終わった後、弟がぽつりとつぶやいた。「参列者がえらい少なかったねー。皆、冷たいぜ」と。確かに、僕も受付をしながらそう思った。「去る者日々に疎し」ではないが、一旦、現役を離れて長期入院、療養となると、人の意識も次第に遠ざかっていく。過去の栄光は栄光として時折、語られることはあっても、すでに現実のものではない。また、人の心の尺度は、人によって違い、一様にはかることは出来ない。これは仕方がないことだ。

既に肉体は灰となり、遺骨だけが骨壺の中に収まっている。ボスには窮屈な場所かもしれない。ただ、魂だけは解放されて宇宙空間を自由に飛び回っているに違いない。そう、後云十年もすれば、僕の魂も宇宙へと帰り、再びボスと相まみれることになるだろう。そのときは大いに飲み、大いに歌いあいたいものだ。二人ともあまりの、ど音痴に閻魔大王の怒りに触れるかもしれないが・・・・・・・。ボスよ、安らかにお眠りください。(完)

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