心の平安は笑顔や笑いから生まれる。
2007年10月7日 日常 今日は三連休の中日にあたる。土曜日が休みだと本命の日曜日をいれて二連休。しかるに10月の第二月曜日が、「体育の日」と銘打って祝日。かくして三連休だ。子供達にとっては大喜びだろう。僕も子供の心に同じ。役所や企業は閉まっているし、来客も電話もなし。何をしようかと、いつも心が躍る。が、結局、やることと言えば仕事。できの悪い僕にとって、休日に出来る仕事の時間が最高のご褒美であり、ご馳走である。日々、怠けているからなあーー。
平日は、来客の応対、お茶出し(最近は、手っ取り早く、ビタC入りの缶ジュースにしている)、電話、机に向かって書類作成、電話、来客、クライアントの所へ出張、帰ってくると山の神ご依頼(順不同)の、生ゴミ捨て、花の水やり、雑草の焼却、干した蒲団の取り込み、買い物への付き合い、重い荷物の運搬、エトセトラ。仕事をしようとすればもう夕方だ。さすがに、洗濯と炊事は山の神の専売特許だ。僕が深く立ち入ることはない。
時々考えることがある。「コマネズミみたいに働くこの僕はいったい何だろう?」って。数年前、山の神の母である、ばあさまが亡くなり、山の神は兄弟もなく、天涯孤独の身となった。頼れるのは僕しかいないわけだ。口うるさいばあさまの小言を聞かなくてもいいようになった僕としては幸せかもしれないが、山の神の心はまだ癒えていない。だからこそ、僕は「こまねずみ」となって動いているのかもしれない。
風邪引きの体調もほぼ良くなってきた。かくして、昨夜は今日が連休の中日ということもあり、寝付かれずラジオの深夜便に耳を傾けた。俳優の滝田栄さんと、アナウンサーが対談をしていた。興味深い話だった。何でも、滝田さんは、レ・ミゼラブルの主人公の役を10年以上も勤め、役を降りた後、すぐインドへ飛んだそうだ。お釈迦様の足跡をたどり、三年間、当地で修行をなさったとのこと。なかなか出来ることではない。
アナウンサーが聞いた。「インドでの修行を終えて、日本に帰ってこられた時、向こうと日本と、どんな面が違っていると感じられましたか?」と。
答えが意外だった。向こうでは、「とにかく笑いなさい」と教えられたそうだ。いつ、どこでも、何をするときでも、腹立たしいときでも、笑顔。笑顔。スマイル、スマイル。仏教の教えはいつも心の平安を保つこと。それには笑顔、笑いが一番と言うことらしい。日本人の表情には、その笑顔、笑いが少ないと、滝田さんは感じたそうだ。
確かにそうかもしれない。あえて、笑いと言えば、テレビ等のお笑い番組。これは商業的な笑いであり、個々人が日々の生活の中でやりとりしている笑顔や笑いとは違う。日々の生活の中に、笑顔と笑いがいつも伴っていれば、これこそまさに心の平安というものだろう。僕もそんな生き方がしたいものである。
もう一つ、滝田さんの話でおもしろかったことは仏像製作にまつわる話である。滝田さんは不動明王とか薬師如来像とかいった仏像を彫刻なさることでも有名である。自分が精魂傾けてこしらえた仏像が気に入り、「人手に渡すのはいや」と、最初の頃は思われたそうだ。ごもっともである。僕なんか、「死んでも離さないぞ」と思うに違いない。
ちょっと、脱線するが、加山雄三さんの歌の台詞にもあったっけ。「僕は死んでも君を離さないぞ。いいだろう?」。こんな場合は、「いいわよーーー」と、答えが返ってくればにんまりだ。仏像などはそうもいかないだろう。個人の執着を離れて、大衆の救済に役立ってこそ仏像が輝きを放つ。今、滝田さんはそんな気持で、仏像彫りに邁進なされている。
いつも笑顔でいる。執着を離れる。これがなかなか出来ないんだよなあーーー。日本の政治も「美しい日本」ではなくて、「笑顔いっぱいの日本」をスローガンにして、それを個々人が実践出来るようになれば、おのずと美しい日本に生まれ変わるはずだ。
平日は、来客の応対、お茶出し(最近は、手っ取り早く、ビタC入りの缶ジュースにしている)、電話、机に向かって書類作成、電話、来客、クライアントの所へ出張、帰ってくると山の神ご依頼(順不同)の、生ゴミ捨て、花の水やり、雑草の焼却、干した蒲団の取り込み、買い物への付き合い、重い荷物の運搬、エトセトラ。仕事をしようとすればもう夕方だ。さすがに、洗濯と炊事は山の神の専売特許だ。僕が深く立ち入ることはない。
時々考えることがある。「コマネズミみたいに働くこの僕はいったい何だろう?」って。数年前、山の神の母である、ばあさまが亡くなり、山の神は兄弟もなく、天涯孤独の身となった。頼れるのは僕しかいないわけだ。口うるさいばあさまの小言を聞かなくてもいいようになった僕としては幸せかもしれないが、山の神の心はまだ癒えていない。だからこそ、僕は「こまねずみ」となって動いているのかもしれない。
風邪引きの体調もほぼ良くなってきた。かくして、昨夜は今日が連休の中日ということもあり、寝付かれずラジオの深夜便に耳を傾けた。俳優の滝田栄さんと、アナウンサーが対談をしていた。興味深い話だった。何でも、滝田さんは、レ・ミゼラブルの主人公の役を10年以上も勤め、役を降りた後、すぐインドへ飛んだそうだ。お釈迦様の足跡をたどり、三年間、当地で修行をなさったとのこと。なかなか出来ることではない。
アナウンサーが聞いた。「インドでの修行を終えて、日本に帰ってこられた時、向こうと日本と、どんな面が違っていると感じられましたか?」と。
答えが意外だった。向こうでは、「とにかく笑いなさい」と教えられたそうだ。いつ、どこでも、何をするときでも、腹立たしいときでも、笑顔。笑顔。スマイル、スマイル。仏教の教えはいつも心の平安を保つこと。それには笑顔、笑いが一番と言うことらしい。日本人の表情には、その笑顔、笑いが少ないと、滝田さんは感じたそうだ。
確かにそうかもしれない。あえて、笑いと言えば、テレビ等のお笑い番組。これは商業的な笑いであり、個々人が日々の生活の中でやりとりしている笑顔や笑いとは違う。日々の生活の中に、笑顔と笑いがいつも伴っていれば、これこそまさに心の平安というものだろう。僕もそんな生き方がしたいものである。
もう一つ、滝田さんの話でおもしろかったことは仏像製作にまつわる話である。滝田さんは不動明王とか薬師如来像とかいった仏像を彫刻なさることでも有名である。自分が精魂傾けてこしらえた仏像が気に入り、「人手に渡すのはいや」と、最初の頃は思われたそうだ。ごもっともである。僕なんか、「死んでも離さないぞ」と思うに違いない。
ちょっと、脱線するが、加山雄三さんの歌の台詞にもあったっけ。「僕は死んでも君を離さないぞ。いいだろう?」。こんな場合は、「いいわよーーー」と、答えが返ってくればにんまりだ。仏像などはそうもいかないだろう。個人の執着を離れて、大衆の救済に役立ってこそ仏像が輝きを放つ。今、滝田さんはそんな気持で、仏像彫りに邁進なされている。
いつも笑顔でいる。執着を離れる。これがなかなか出来ないんだよなあーーー。日本の政治も「美しい日本」ではなくて、「笑顔いっぱいの日本」をスローガンにして、それを個々人が実践出来るようになれば、おのずと美しい日本に生まれ変わるはずだ。
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