ここ一週間、集中的に仕事に専念した。一件の仕事をこなすのに、ほぼ一日かかる。てなわけで、6件くらい片つけたか?。一人でする仕事は孤独だが、のらりくらりやれるので気楽である。処理に迷ったときは冷蔵庫の水を「ごくっ」と飲み、庭先へ出る。木の葉が散っていたらちょっくら箒で掃き、草花が水をほしがっていらたら、ホースで虹のシャワーを浴びせる。、外出も控えめに、ほとんど家の中と、庭先を歩き回ること。これが日課だった。まあ、こういう生活もたまには良い。
気がつくと、暦は10月の半ばだ。そんな殺風景な暮らしの中で発見したことがいくつかある。これが、僕の癒しにもなったようだ。人様にとってはたいしたことではないかもしれないが。
まず一つ目は、コスモスが色とりどりの花を咲かせて風になびいていたこと。あまりの美しさに感動だ。即、デジカメに収めた。コスモスは大好きな花。なんと言っても、山口百恵さんの「秋桜」という歌を思い出す。それと、もうずいぶん前になるが、「釈迦内棺唄」という演劇を見たとき、コスモスの花について語られた言葉があまりに印象的だった事を、いつもいつも思い出す。
正確な表現は忘れたが、「一面に咲いているこのコスモスの花は、亡くなった人を焼いた灰をまいて育っている。人の顔が皆、違うように、このコスモスの花も、皆一つ一つ違う。それでも、皆美しく咲いている」という内容だったっけ?。戦争、差別、偏見といった時代背景の中で、コスモスだけは、自分を偽ることなく皆、美しく咲いている。なんだか涙を誘ってしまった。
演劇が終わり、主役を演じた有馬理恵さんという女優さんが、玄関口で観客を見送ってくれた。彼女がにっこりと笑って、僕と握手をしてくれた。もちろん、握手は僕だけではないのだが・・・。その思い出は、未だに脳裏から離れない。「一目会ったその日から、僕は恋の虜になりました」って感じで今日に至っている。
二つ目の発見。月下美人が三度目のつぼみをつけたことである。つぼみの個数も三個。これは偶然か?必然か?。毎朝起きたときに、つぼみの成長を見るのが楽しみである。「途中でダウンすることなく、きっと咲いてよ」と、今は願うのみである。大輪の花はあでやかで、香りが強く、色んな昆虫たちを引き寄せる魅了を持ってているそうな。昆虫のみならず、僕まで引き寄せられてしまいそう。そのとき、「女性の香水も、この香りにはかなうまい」と僕は思ったのでした。
一夜というより、ほんの数時間でしぼんでしまう月下美人。花を天ぷらにして食ったら旨いらしいが、とても、とてもそんな残酷な事は出来ない。せいぜい、焼酎につけて、純白の花びらを眺めて、いつまでも楽しみ事が最高の贅沢かもしれない。まだ、実現に至らず。
三つ目の発見。これも花の話だ。黄色い彼岸花が今、咲いている。彼岸花って今頃咲くんだったっけ?。ちょっと、遅いみたいな気がするが、我が家では今である。赤い彼岸花が定番みたいだが、今は何種類も色があるようだ。黄色の彼岸花が何故、我が家に咲いたのか分からない。ばあさまの置きみやげと、山の神が言う。さもありなん。ばあさまはめっぽう花が好きだったからなあーーー。
まあ、こんな風で、我が家に日頃になく、こもっていると、いろんな発見があっておもしろい。「ここ掘れ、ワンワン」で、庭先から大判小判でもわんさと出てくりゃ御の字だが、はかない夢を抱くことは止めにしよう。欲はほどほどにして、汗水流して労働にいそしむことが最善の道だ。
気がつくと、暦は10月の半ばだ。そんな殺風景な暮らしの中で発見したことがいくつかある。これが、僕の癒しにもなったようだ。人様にとってはたいしたことではないかもしれないが。
まず一つ目は、コスモスが色とりどりの花を咲かせて風になびいていたこと。あまりの美しさに感動だ。即、デジカメに収めた。コスモスは大好きな花。なんと言っても、山口百恵さんの「秋桜」という歌を思い出す。それと、もうずいぶん前になるが、「釈迦内棺唄」という演劇を見たとき、コスモスの花について語られた言葉があまりに印象的だった事を、いつもいつも思い出す。
正確な表現は忘れたが、「一面に咲いているこのコスモスの花は、亡くなった人を焼いた灰をまいて育っている。人の顔が皆、違うように、このコスモスの花も、皆一つ一つ違う。それでも、皆美しく咲いている」という内容だったっけ?。戦争、差別、偏見といった時代背景の中で、コスモスだけは、自分を偽ることなく皆、美しく咲いている。なんだか涙を誘ってしまった。
演劇が終わり、主役を演じた有馬理恵さんという女優さんが、玄関口で観客を見送ってくれた。彼女がにっこりと笑って、僕と握手をしてくれた。もちろん、握手は僕だけではないのだが・・・。その思い出は、未だに脳裏から離れない。「一目会ったその日から、僕は恋の虜になりました」って感じで今日に至っている。
二つ目の発見。月下美人が三度目のつぼみをつけたことである。つぼみの個数も三個。これは偶然か?必然か?。毎朝起きたときに、つぼみの成長を見るのが楽しみである。「途中でダウンすることなく、きっと咲いてよ」と、今は願うのみである。大輪の花はあでやかで、香りが強く、色んな昆虫たちを引き寄せる魅了を持ってているそうな。昆虫のみならず、僕まで引き寄せられてしまいそう。そのとき、「女性の香水も、この香りにはかなうまい」と僕は思ったのでした。
一夜というより、ほんの数時間でしぼんでしまう月下美人。花を天ぷらにして食ったら旨いらしいが、とても、とてもそんな残酷な事は出来ない。せいぜい、焼酎につけて、純白の花びらを眺めて、いつまでも楽しみ事が最高の贅沢かもしれない。まだ、実現に至らず。
三つ目の発見。これも花の話だ。黄色い彼岸花が今、咲いている。彼岸花って今頃咲くんだったっけ?。ちょっと、遅いみたいな気がするが、我が家では今である。赤い彼岸花が定番みたいだが、今は何種類も色があるようだ。黄色の彼岸花が何故、我が家に咲いたのか分からない。ばあさまの置きみやげと、山の神が言う。さもありなん。ばあさまはめっぽう花が好きだったからなあーーー。
まあ、こんな風で、我が家に日頃になく、こもっていると、いろんな発見があっておもしろい。「ここ掘れ、ワンワン」で、庭先から大判小判でもわんさと出てくりゃ御の字だが、はかない夢を抱くことは止めにしよう。欲はほどほどにして、汗水流して労働にいそしむことが最善の道だ。
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