同窓会続編。

2008年2月17日 日常
 同窓会の続編を書こうと思っていたが、どんどん日延べになってしまった。今更という気持ちもあるが、やはり少し書いておこう。友人の車が僕をホテルの玄関まで運んだ。ここで友人としばしの別れだ。時間の都合がつけば帰りも送ってくれることになっている。、僕は会場の扉をたたいた。まだ十分に人が集まっていないため、10分程度始まりが遅れた。既に予約済みのテーブルへ足を運ぶと、毎年顔を合わせる同級生達が数名、陣取っていた。女房と別れた歯医者の○○君もいた。彼はまさに同級生で同クラスだった友人。女房と別れた後に、つきあい始めた彼女の話を聞いてみた。まだつながっている由。すでに、仕込み済みとあらば、それもうなずける。ただ、結婚に至るかどうかは分からないとの事だ。

どうも、テーブルは卒業年度ごとに分けてあるようだ。先輩諸氏が多いため、僕たちは末席近くのテーブル。例によって、たわいもない話しに興じていると、司会から開始の弁があった。なんと、司会は僕たちの同級生で、さる放送局に勤めている○○君だ。さすがに話術はたくみだ。高校時代はクラスが一緒になることはなかったが、なかなかの美男子で、女性にもてた。僕は指をくわえながら、嫉妬の炎をめらめらと燃やしていたような・・・・そんな気がする。

100名ちょっとの出席があったようだ。僕たちは「乾杯の音頭」を今や遅しと待っていた。その期待とは裏腹に、同窓会会長の話し、かけつけた現校長の話し、来賓の話しが延々と続く。結婚式でも、せいぜい30分が限度だ。こともあろうに、乾杯に至るまで1時間ちょっとの長丁場だった。よほど皆、スピーチが好きと見える。乾杯の音頭で指名された先輩女史は、グラスを持ったまま、またまた話し出す。しびれをきらした同窓生が、「話しはもういいよ」と、怒ったように声をかけた。決まり悪そうに先輩女史は、小さな声で、「乾杯」と告げた。気の毒だったが、やれやれだ。

思えば、毎年する同窓会って、結構マンネリ化する。何か、際だった催しでもすれば、たくさん人があつまるのだが、先立つものは金だ。少ない予算ではそれも叶わじ。近年は出席者が減っているという。又、毎年顔を合わせると、懐かしみも薄らいでいく。どうしてもマンネリ化は否めない。

それでも、思わぬ発見というか、出会いがあるものだ。なんと、なんと、小・中・?・大まで、一緒の先輩がいた。年は4つばかり上なので、ほとんど知らなかったが、僕の名簿を見て、テーブルへやってきた。話しを聞いてみると。家も僕の実家からさほど遠くはない。母に電話したら、さすがに母は知っていた。名刺を交換した。僕の住む地へ来たときは電話するとのこと。機会があれば一献傾けたいと思っている。

司会の○○君も大役を終え、僕たちのテーブルへやってきた。慰労の弁を述べ、僕たちはめいめいに飲み始めた。焼酎を数杯おかわりした。この程度では、酔うに至らず。だべりに夢中になっていると、回転式丸テーブルの料理がことごとく無くなっていた。ほとんど食べずじまいだったが、まああいいか。

2時間ばかりの懇談の後、閉会となった。閉会の弁は、なんと、級友で、歯科医の○○君が告げることになっていた。僕も同じ穴の狢だが、人は皆、現金な者だ。だあれも、閉会の弁を聞いていない。わいわいがやがやで、何を言っているのか全く聞き取れなかった。万歳だけは勢いで皆、手をあげていたが・・。

僕たち同級生5名は二次会、三次会、四次会まで足を運んだ。意外にも、僕は酩酊していなかった。焼酎を薄く飲んだのが良かったのだろう。久しぶりに来た都会の夜は、人・人でごった返していた。さすがに眠らない町だ。道行く若い女性達は皆、きれいだった。「田舎とはファッションが違うぜーーー」と思わず見とれてしまう。もちろん、大山姥、中山姥、小山姥みたいな人たちもいたが、総じて洗練されているように見えた。

時が流れたのだ。都会は僕が住む場所ではないと思った。僕には田んぼに囲まれた一軒家がお似合いである。同級生達と別れて、僕は友人が送ってくれるか?で確認。友人はネットカフェーで遊んでいたらしい。友人の妻を迎えに行き、雪もふりそうな山道を走り、午前3時頃、我が家へ到着。固く閉ざされた門を合い鍵でこじ開け、見事ベッドイン。朝はさすがに、早く起きれじ。お天道様がまぶしかった。かくして、僕の同窓会は終わった。

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