二月は逃げる月。早、20日になった。今年は閏年だから一日だけ得か?。
世の中を見回すと、なぜか閉塞感だけがただよっている。目に見えぬ増税の嵐がひしひしと迫っている。国会は何をやっているのか先が見えない。環境の変化についていけない人々は、皆、神経がピリピリしている。今は良い世の中なんだろうか?。
ただ、ちょっとほほえましいニュースがあった。あのミッキー・カーチスさんが、33才年下の女性と結婚するそうな。まさに、親と子。親と娘。率直な感想は「いいじゃあなーーい」である。昔は人生50年。今は人生80年。人生が長くなればなるほど、恋する時間、愛する時間も長くなって当然。年齢の差なんて問題ではない。要するに子孫を残したければ、若いときに結婚すればよいし、人生を楽しみたければ、どんな遅くに結婚しようと関係ない。
そう言えば昔、扇谷正造さんという人が「朝のこない夜はない」という本で、結婚の6条件というのを書いていた。一にピカピカ、二に健康、三に料理、四、五がなくて、六に十人並み。これを読んだ時、「なるほど」と思った。一のピカピカは、何か感じあうもの、お互いに通じ合うものということらしい。要するに、相性や縁みたいなものだろう。健康は体のみならず、心も同じである。料理・・・・。これは意外と大事なことかも。料理の下手な女性をもらった男は一生の不幸とまで言われたことがある。
四と五がないところが味噌。適当に考えれば良いのだろう。六番目の十人並み。十人並みかどうかの判断は個々の判断である。「田で食う虫も好きずき」と言うから、一概には言えない。要するに平均的な人と言うべきか?。最近の女性は皆、きれいになった。十人並みの判断がしがたい。これも、「しわ防止器」や、「美容整形」のたまものなのか?。美しいことは罪ではないが、皆が皆、「のっぺらぼうや能面」みたいな顔に見え、思わずたじろぐことがある。あんまり書くと「自分を何様と思っているの?」と言われそうなので、止めておこう。
今、述べたことは男性から見た女性像である。女性から見た男性像は、一番、二番は同じで、三番目に男らしさ、四・五がなくて、六番目には、「まァまァ」と言うことらしい。「男らしさ」の定義と「まァまァ」の定義は難しいところだ。それぞれの判断に任せるしかない。昔の侍のように、「何はなくとも爪楊枝」というわけにもいくまい。
また、ひところ、「三高」という言葉がはやった。「高学歴、給料が高い、背が高い」ということらしい。女性の結婚相手としては、表向きは理想的だろう。これに、「思いやり、優しさ」が伴っていれば、超最高って事だろうが、世の中はそんなに甘くはない。欲もほどほどにせにゃあなるまいて・・・。
「ほどほど」で思い出したが、時々「枯れた夫婦」という言葉を耳にする。確かに年老いてくると、お互いに枯れてはくる。そんな夫婦像とはどんなものだろう?。僕はまだ枯れていないので、定かには分からないが、「ほどほどの夫婦」ということか?。別の言葉で言えば、「つかず離れずの夫婦」。いわば宗教みたいなものだ。深く埋没もせず、かといって信仰からはなれずもせず。いい加減なやつと思われそうだが、「つかず離れず」の状態が、自己を顧み、自己を検索するにはお互いに一番良い。「男よ書斎を持て」というのも、その範疇にはいるだろう。女性はおこたで毛糸編み。ちょっと、発想が古いか?。「スープの冷めない距離」という言葉もあるが、夫婦もそのくらいの距離を置いても良いのではないか?。「枯れた夫婦」とは、互いに深く干渉はしないが、心がどこかでつながっている夫婦ということなのかもしれない。
とにもかくも、僕はミッキーさんではないが、80才までは恋に生きる男でありたいと、日々研鑽に勤めている今日この頃でございます。おっと、仕事に行かなくちゃ。あぐらをかいている場合ではなかった。
世の中を見回すと、なぜか閉塞感だけがただよっている。目に見えぬ増税の嵐がひしひしと迫っている。国会は何をやっているのか先が見えない。環境の変化についていけない人々は、皆、神経がピリピリしている。今は良い世の中なんだろうか?。
ただ、ちょっとほほえましいニュースがあった。あのミッキー・カーチスさんが、33才年下の女性と結婚するそうな。まさに、親と子。親と娘。率直な感想は「いいじゃあなーーい」である。昔は人生50年。今は人生80年。人生が長くなればなるほど、恋する時間、愛する時間も長くなって当然。年齢の差なんて問題ではない。要するに子孫を残したければ、若いときに結婚すればよいし、人生を楽しみたければ、どんな遅くに結婚しようと関係ない。
そう言えば昔、扇谷正造さんという人が「朝のこない夜はない」という本で、結婚の6条件というのを書いていた。一にピカピカ、二に健康、三に料理、四、五がなくて、六に十人並み。これを読んだ時、「なるほど」と思った。一のピカピカは、何か感じあうもの、お互いに通じ合うものということらしい。要するに、相性や縁みたいなものだろう。健康は体のみならず、心も同じである。料理・・・・。これは意外と大事なことかも。料理の下手な女性をもらった男は一生の不幸とまで言われたことがある。
四と五がないところが味噌。適当に考えれば良いのだろう。六番目の十人並み。十人並みかどうかの判断は個々の判断である。「田で食う虫も好きずき」と言うから、一概には言えない。要するに平均的な人と言うべきか?。最近の女性は皆、きれいになった。十人並みの判断がしがたい。これも、「しわ防止器」や、「美容整形」のたまものなのか?。美しいことは罪ではないが、皆が皆、「のっぺらぼうや能面」みたいな顔に見え、思わずたじろぐことがある。あんまり書くと「自分を何様と思っているの?」と言われそうなので、止めておこう。
今、述べたことは男性から見た女性像である。女性から見た男性像は、一番、二番は同じで、三番目に男らしさ、四・五がなくて、六番目には、「まァまァ」と言うことらしい。「男らしさ」の定義と「まァまァ」の定義は難しいところだ。それぞれの判断に任せるしかない。昔の侍のように、「何はなくとも爪楊枝」というわけにもいくまい。
また、ひところ、「三高」という言葉がはやった。「高学歴、給料が高い、背が高い」ということらしい。女性の結婚相手としては、表向きは理想的だろう。これに、「思いやり、優しさ」が伴っていれば、超最高って事だろうが、世の中はそんなに甘くはない。欲もほどほどにせにゃあなるまいて・・・。
「ほどほど」で思い出したが、時々「枯れた夫婦」という言葉を耳にする。確かに年老いてくると、お互いに枯れてはくる。そんな夫婦像とはどんなものだろう?。僕はまだ枯れていないので、定かには分からないが、「ほどほどの夫婦」ということか?。別の言葉で言えば、「つかず離れずの夫婦」。いわば宗教みたいなものだ。深く埋没もせず、かといって信仰からはなれずもせず。いい加減なやつと思われそうだが、「つかず離れず」の状態が、自己を顧み、自己を検索するにはお互いに一番良い。「男よ書斎を持て」というのも、その範疇にはいるだろう。女性はおこたで毛糸編み。ちょっと、発想が古いか?。「スープの冷めない距離」という言葉もあるが、夫婦もそのくらいの距離を置いても良いのではないか?。「枯れた夫婦」とは、互いに深く干渉はしないが、心がどこかでつながっている夫婦ということなのかもしれない。
とにもかくも、僕はミッキーさんではないが、80才までは恋に生きる男でありたいと、日々研鑽に勤めている今日この頃でございます。おっと、仕事に行かなくちゃ。あぐらをかいている場合ではなかった。
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