僕の去年が終わった。
2008年3月13日 日常 僕の去年が終わった。一年を精算するのもなかなか大変である。可もなく、不可もなく終わった手をじっと見た。見えたのは、苦労を思わせるかのような「しわ」だけだ。おおおおつ、いとしい「しわ」よ・・・・。
一昨日の夜、小料理屋の暖簾をくぐり、ママさんにそのことを告げると、ママ曰く。「私も終わったのよーーー。ところで、○○さん、去年の身辺整理は終わったの?」と聞かれた。「ええっ?、身辺整理?。僕にそんなものがあるわけないじゃん」と応えると、ママは笑いながら、「それもそうよねー」とか言う。「失礼だぜ」と思ったが、まあいいか。
その日の午後、僕は故郷の地を踏んでいた。母の申告書作成を手伝うためだ。あまりに、簡単すぎて、僕みずからが手を下す必要もないほどだが、恒例の里帰りである。日頃は電話だけでの会話だが、直接会って話しをするのも、親孝行のつもりである。母も僕の姿を見ると安心するわけだ。
高速をひたすら走り、故郷の町へ入った。空は青く、山と海に囲まれた小さな温泉町の空気は美味しかった。ただ、年々高齢化が進み、昔の活気が感じられなくなったことが寂しい。ただ酒を飲ませてくれた酒屋の友人も、旅館が不景気で注文も少なく、店のシャッターを下ろしていた。なんでも、女房ともども、どこかへ勤めているそうだ。時が流れ、人の流れも変わったのだ。まさに諸行無常。「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水に非ず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて久しくとどめたるためしない」。いやああーーーーつ、わびしいぜ。
母の申告書の提出を終え、二人きりの夕食と相成った。近くの食堂から「チャンポン」を配達してもらった。食堂のおばさんは、近所と言うこともあり、昔からよく知っていた。確か、僕より一つ二つ歳が違う子供がいた。母親同士というのは会えば、子供の話ばかりである。「よう来なさったねーー。今、どこにおんさっと?。うちの子は、どこどこにおりますばい。この前、帰ってきとったよ・・・」とかなんとか。僕はただ、「はあーー、そうですか」とあいずちを打つのみ。まああ、どんな母親にとっても子はかすがいだ。いつも、達者で暮らしていることを願っている。おのずと子供の話に花が咲く。
食事を終え、ひとしきりだべり、僕は、とんぼ返りの準備をした。母は、名物の食材を持たせてくれた。僕は後ろ髪を引かれる思いをふっきり、車を走らせた。「もう母ちゃんも何年も生きらんばい」と笑いながら言った母の言葉が耳について離れなかった。生きていくことは楽しいが、人が老いていく姿を見るのは何故か悲しい。もちろん、自分も老いていくわけだが、まだ僕の辞書に「老い」はない。
3時間弱で、我が家のある市へ入った。僕はすかさず、母に電話した。「もう、家の近くまでたどり着いたから」と。母曰く。「そう、それは良かった。寄り道しちゃいかんばい」と釘を刺された。僕はぎくっとした。僕の心が見透かされているかのようだ。というのも、僕は常習犯だ。いつも、遠出をすると、帰りはどこかへ立ち寄って、一杯やっていく。実はその日も、それをもくろんでいた。結構、早い時間に市内へ着いたので、冒頭の小料理屋へと足を運んだわけである。
僕の仕事も母の仕事も片づいたことだし、まずは乾杯だ。ようやく、僕の去年が終わった。
一昨日の夜、小料理屋の暖簾をくぐり、ママさんにそのことを告げると、ママ曰く。「私も終わったのよーーー。ところで、○○さん、去年の身辺整理は終わったの?」と聞かれた。「ええっ?、身辺整理?。僕にそんなものがあるわけないじゃん」と応えると、ママは笑いながら、「それもそうよねー」とか言う。「失礼だぜ」と思ったが、まあいいか。
その日の午後、僕は故郷の地を踏んでいた。母の申告書作成を手伝うためだ。あまりに、簡単すぎて、僕みずからが手を下す必要もないほどだが、恒例の里帰りである。日頃は電話だけでの会話だが、直接会って話しをするのも、親孝行のつもりである。母も僕の姿を見ると安心するわけだ。
高速をひたすら走り、故郷の町へ入った。空は青く、山と海に囲まれた小さな温泉町の空気は美味しかった。ただ、年々高齢化が進み、昔の活気が感じられなくなったことが寂しい。ただ酒を飲ませてくれた酒屋の友人も、旅館が不景気で注文も少なく、店のシャッターを下ろしていた。なんでも、女房ともども、どこかへ勤めているそうだ。時が流れ、人の流れも変わったのだ。まさに諸行無常。「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水に非ず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて久しくとどめたるためしない」。いやああーーーーつ、わびしいぜ。
母の申告書の提出を終え、二人きりの夕食と相成った。近くの食堂から「チャンポン」を配達してもらった。食堂のおばさんは、近所と言うこともあり、昔からよく知っていた。確か、僕より一つ二つ歳が違う子供がいた。母親同士というのは会えば、子供の話ばかりである。「よう来なさったねーー。今、どこにおんさっと?。うちの子は、どこどこにおりますばい。この前、帰ってきとったよ・・・」とかなんとか。僕はただ、「はあーー、そうですか」とあいずちを打つのみ。まああ、どんな母親にとっても子はかすがいだ。いつも、達者で暮らしていることを願っている。おのずと子供の話に花が咲く。
食事を終え、ひとしきりだべり、僕は、とんぼ返りの準備をした。母は、名物の食材を持たせてくれた。僕は後ろ髪を引かれる思いをふっきり、車を走らせた。「もう母ちゃんも何年も生きらんばい」と笑いながら言った母の言葉が耳について離れなかった。生きていくことは楽しいが、人が老いていく姿を見るのは何故か悲しい。もちろん、自分も老いていくわけだが、まだ僕の辞書に「老い」はない。
3時間弱で、我が家のある市へ入った。僕はすかさず、母に電話した。「もう、家の近くまでたどり着いたから」と。母曰く。「そう、それは良かった。寄り道しちゃいかんばい」と釘を刺された。僕はぎくっとした。僕の心が見透かされているかのようだ。というのも、僕は常習犯だ。いつも、遠出をすると、帰りはどこかへ立ち寄って、一杯やっていく。実はその日も、それをもくろんでいた。結構、早い時間に市内へ着いたので、冒頭の小料理屋へと足を運んだわけである。
僕の仕事も母の仕事も片づいたことだし、まずは乾杯だ。ようやく、僕の去年が終わった。
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