静かな雨の日曜日。風もなく木々がしっとりと濡れている。こんな日も良いものだ。娑婆世界に思いを巡らすにはもってこいの日和である。ややこしい仕事を一件かかえているが、集中力を蓄えてから取りかかることにしよう。

一昨日、親戚のいとこ半(父親同士がいとこで、その子供同士のことかなあーーー?)が家族共々、父親の故郷へやってきた。僕の実家近くのホテルに滞在しているとのこと。なんでも、年一回やっている「いとこ会」へ参加するらしい。僕にも要請があったが行けなかった。

思えば親戚が一堂に会するのは、結婚式か葬式くらいが一般的だろう。そういう意味では、こうやって、何かの名目で集まるのはいいことかもしれない。もちろんこれも元気であればこそ出来ることである。残念ながら母は足を悪くしていて、兄が代理出席したようだ。

いとこ半と言っても、顔は知っているが、親しく話したことはない。話ししたとしても、儀礼的になってしまうだろう。多分、僕よりも年下だと思う。血のつながりがあるだけである。近くて遠いのが親戚というから、日頃、付き合いがないと、遠くなるのは仕方がない。

そう言えば、昨年、妙なことがあった。母と叔父さんに全く知らなかった姉が見つかったというのだ。とある役場から通知が来た。母も叔父さんもただ驚くばかり。「どうしたらいいんだべー」と僕に聞く。そいう事実があれば、多分、母も叔父さんもあまりに幼少の頃だったので、ほとんど、姉がいたという記憶がないのだろう。又、周りがそのことを伏せていたのだろう。

いきさつは知らないが、昔はこういう事が結構あったのかもしれない。僕は笑いながら「よかったじゃない」と言ったが、半世紀以上も音沙汰がなく、兄弟姉妹が突然、出現すれば誰だって驚く。知らぬまに時が流れすぎたのだ。

役場の要請は、可能なら引き取って欲しいとの事だった。母も叔父も元気ならばそれも可能だったが、二人とも病院通いをしている身。明日は我が身ともしれない状況では、いかようにもしがたい。辛い選択ではあったが、僕が代筆してその旨を役場へ伝えた。

人が生きることは楽しくもあるが、それと同じくらいに悲しくもある。僕が悲しい歌や、別れの歌が好きなのは、そんな歌の中に人生の悲哀を見いだすからだろう。こう書くと、いかにも自分が人生の悲哀を味わって生きてきたかのように見えるが、そうではなく、人生の悲哀の中にある真実に、ただ涙するのみだ。

今日の雨は僕の心を曇らせている。どこかの地では桜の開花がきかれたそうだ。桜かああーーーー。これまた、はかなくて美しい。当地ではまだ開花していない。今年は寒かったので、開花が少し遅れているようだ。それでも決まって美しい花を咲かせる。そんな花を人が愛でるのは、咲いては散る花の中に自分の生と死を見つめているからだろう。

僕は本来、脳天気で単細胞な男である。はちゃめちゃに生きてきたが、これからもそう生きていくだろう。時折、カラオケで悲しい歌をおらびながら・・・。そうそう、柏原芳恵さんの「春なのに」がやっと、僕のレパートリーの一つとなりつつあるが、未だに音程が狂いっぱなし。これじゃーーー誰も涙してくれない。物になるのは、桜も散った時節はずれの頃かも知れない。だいたい、僕はそういう男である。夏頃、「きよしこの夜」を歌うくらいだからーー。

脱線すればきりがない。今日はこの辺で止めておこう。

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