買い物がてら、駅構内の本屋に立ち寄った。ふと、手にした一冊の本。タイトルは「親の品格」。親の品格かアーーー?。ぱらぱらとめくり、720円プラス消費税で購入。家へ持ち帰ったがまだ読んでいない。

そもそも、最近は、「何とか品格」という言葉が、ちまたにあふれ過ぎている。僕個人としてはこの言葉に必ずしも好感を持っていない。なんとなれば、馬鹿の一つ覚えみたいに、「品格がない」とか「品格がある」とか判断されるのが嫌いだからである。

辞書で調べてみた。「品格ーーー物のよしあしの程度。しながら。品位。気品」とある。ついでに気品を調べてみた。「気品ーーどことなく感じられる上品さ。けだかい品位」とある。

なるほど。品に上をつけると、上品。下をつけると、下品。僕は一体どっちなんだ?と考えてみた。結論はこうだ。ある時は上品であり、又、ある時は下品でもある。要するに品格とは他人が客観的に見た印象ではないのか?。これぞ、まさしく品格というものがあるんだろうか?。

上品に振る舞っても、ぼろが出ると下品に思え、下品にふるまっても上品に見えることもある。アンチテーゼなのか、アンチノミーなのか?。

ところで、本を読む前に、僕なりに「親の品格」について考えてみた。親の品格と言えば、対象は子供に対してのことだろう。子は親も見て育つ。親は自分の経験に照らして子を教育する。その関係の中に親の品格が問われるのだろう。

僕なりに「親の品格」を定義しよう。「親の品格とは、自信を持ってまっとうに生きている姿、そのものである」と。子供の目には親の後ろ姿に後光さえ射しているかもしれない。そんな後光を見ながら子も、自ら品格を備えていくわけだ。品格に優劣はない。それぞれに、それぞれの品格があるわけだ。それでいいのでは?。

最近、有料のドラマを見た。「なんとかキッド」という空手のドラマだ。先生の教えを通してキッド(少年)が成長していく。先生はおごらず、高ぶらず、ありのままの自然を通して、まっとうに生きていくことを子供に教えていく。空手は人を倒すためのものではなく、自分の心を強くするためのものである。
自分の心が強くなれば自信ができる。自信が出来れば人にも優しくできる。おのずと品格もそなわるわけだ。

先生の心の根底には、他人を見る優しい目がいつもあった。けっして 甘やかしではない。ある時は厳しくもあるが、言葉はいつも愛情に満ちあふれている。そんな先生だからこそ、キッドは尊敬しながらついて行くわけだ。まさに先生の品格がうかがい知れる。

果たして、僕なんかどうだろう?。ことあるごとに酒を喰らい、夜な夜な徘徊して、とぐろを巻いているようじゃ、品格も何もあったものじゃない。ただ、少しばかりの自信はある。その自信さえ、ある時は地震のようにぐらぐらと揺れ、またある時は、天狗となって空を駆けめぐる。これじゃーーーいただけない。

課題の多い僕だが、質実剛健、優しい目、おごらず、高ぶらず、まっとうに・・・・・・。あげればきりがない。ますます課題が増えていきそうだ。

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