しとしと雨を眺めて思ったこと。
2008年4月17日 日常 しとしとと雨が降っている。こんな雨は好きである、家を取り囲むように植えられた麦が背伸びしている。雨に打たれて、うす緑色に輝いている。目に優しい。五月になると、黄金色を呈し刈り取られていく。おいしいビールの原料となるわけだ。その後、田んぼに水が張られ、田植えの時期がやってくる。いつもみなれた風景だ。自然の営みはなんと優しく優雅なんだろう。
かたや、テレビのスイッチをいれると、娑婆は暗い話しばかり。人間世界の営みは自然の営みと違い、あまりに複雑多岐にわたっている。、争いと混乱ばかりが目立つ。人は法の下では平等と言うが、悪法もまた法である。最大多数の最大幸福とか、多数決の原理などと、よく言われる。これらの意味するところは、弱者や少数派は切り捨てられる運命にあるということなんだろうか?。法の下では平等とはいっても、法にもやはり限界がある。なにはともあれ、法は弱者救済を本意としなければいけないだろう。
おっと、午後から2時間ばかり出動だ。暗い話しは止めにして、準備に取りかかろう。
かたや、テレビのスイッチをいれると、娑婆は暗い話しばかり。人間世界の営みは自然の営みと違い、あまりに複雑多岐にわたっている。、争いと混乱ばかりが目立つ。人は法の下では平等と言うが、悪法もまた法である。最大多数の最大幸福とか、多数決の原理などと、よく言われる。これらの意味するところは、弱者や少数派は切り捨てられる運命にあるということなんだろうか?。法の下では平等とはいっても、法にもやはり限界がある。なにはともあれ、法は弱者救済を本意としなければいけないだろう。
おっと、午後から2時間ばかり出動だ。暗い話しは止めにして、準備に取りかかろう。
コメント