連休の谷間に咲いた花。
2008年5月6日 日常 連休が五月の風と共に去った。すでに、娑婆世界では帰省のための民族移動が始まったよし。海外へ飛んだり、故郷へ帰省したり、行楽地へ赴いたり、人は様々な足跡を残してきたことだろう。僕が残した足跡と言えば、ふにゃふにゃになった指(人様が愉快に遊ぶ姿を指をくわえながら、うらやましそうに眺めていた)と、仕事で幾ばくかの収入を得たことだ。毎日2〜3の仕事があると、さすがに遠出する気にもならない。風と共に去ったゴールデンウィークを、ただただ、恨めしく思うだけだ。
そんな僕を気遣ってかどうかは知らないが、一昨日、同い年の友人が電話してきた。「おい、どうしている?。全然、連絡がないから心配していたよ。今日は飲んでいる?。今からそっちへ行くから一緒に飲もう」という。翌日も早朝から仕事があったが、「酩酊しなければいいんだ。何とかなるだろう」と、意を決して出かけることにした。
折も悪く、その日は、後半四連休のスタート日。夜の灯火も大半は消えているだろう。とりあえず、焼鳥屋で待ち合わせた。時間通りに赴くと、既に友人は来ていた。店内をのぞくと満席。な・な・んと、そこに、のび太君(弟みたいな仕事仲間)が、異業種交流の○○会のメンバーと来ていた。挨拶はかわせど、坐る場所がない。すかさず、のび太君が「○○ちゃん、あそこに電話してみたら?」と、彼の遠縁にあたる店を紹介してくれた。
運良く開いていた。団体の予約があったので、開けたのだそうだ。僕たちも便乗することにした。ここのマスターもよく知っている。のび太君と何度も行ったことのある店だ。脱サラのマスターは店を開いて丁度八年目。焼き鳥から、鍋物まで、何でも有りの小料理屋風の店。おすすめは「ソーメンチャンプル」。ゴーヤとソーメンがほどよく混じり合い、皿に山盛りで出してくれる。我々はダイナミックにそれをついばんだものだ。マスターも我々とほぼ同い年カツX1の独身。彼女はどうもいるらしい。僕たちは焼酎に焼き鳥と冷凍鯨なんかをつまみに、話しに興じた。
そうそう、ここで、友人のことを少し紹介しておこう。友人はめっぽう山登りが好きな独身男性。今まで一度も嫁に行った?じゃあなかった。嫁をもらったことがない。男性として欠陥があるわけではない。要するに縁がなかったということだ。彼の自慢話がある。「おいらは武田鉄矢を追い越したぜ}と言う。何のことかと言えば「101回目のプロポーズ」というドラマがあったが、その101回のプロポーズを遙かに追い越したという。なんでも、120回以上はお見合いをしらたしい。僕たちは大笑いだ。
世の中とは不思議なものだ。たったの一回でまとまる人もいれば、彼のように延々とまとまらない場合もある。その違いは何だろう?。「縁」ということになるのだろうか?。彼に縁がないわけではない。縁はあってもそれを生かすことが下手なわけだ。悪く言えば、わがままということになるか?。
彼の口癖はこうだ。「ぼかーーー、気の強い女性はダメ。すこぶる、めっぽう、果てしなく、十二分に優しい女性でなければダメ」という。「そんな女性が今時いるもんね。あきらめと妥協も必要だぜ」と言い、僕たちはげたげたと笑った。「母を訪ねて三千里」という映画があったが、彼の場合は「やさしい女性を求めて120回」ということになるか?。彼の気持ちが分からないでもない。僕だって、アニメの世界ではあるが、あの999のメーテルのごとき女性に、未だ思いを馳せているからだ。なかなか難しい問題だぜ。
彼の素晴らしいところは多々ある。あげれば きりがない。既に父・母はいない。十何年も前に家を新築して、嫁さんを迎えるばかりになっている。「体ひとつで来て」と言って久しいが、先ほど述べたごとく、当たる女性のことごとくが帯に短し、たすきに長しの状況である。もちろん、相手から断られたことも多々あるだろう。そんな彼の家へ何度も遊びに行き、随分と汚し、散らかしてきた思い出がある。
彼の更に圧巻なところ、それは小銭貯金箱の存在だ。何でも、札で買い物をしたおつりを貯金箱に放り投げていたら、100万円以上が貯まったらしい。それを頭金に車を買ったというのだ。「積もれば山」と言うが、いやはやどうして。飽くなき彼の行動は見上げたものだ。僕ならば、貯金箱の鍵を開けては締め、開けては締めで、鍵がなまってしまっているだろう。彼は未だに小銭放り習慣を保っているそうな。彼の所へ来た嫁さんは幸せだろう。「おいらの亡き後はこれは全部おまえのものだよ」と彼は言うに違いない。嫁さんは、「重くてもてないわ」と言って、涙を流すだろう。これはちょっと、飛躍しすぎか?。
てなわけで、僕も連休のほんの刹那の時間を友人と共に過ごしたのでした。
さあ、明日からは平常の暦に戻り、地獄の特訓が再び始まることになる。
すべからく生きなくちゃ・・・・・。
そんな僕を気遣ってかどうかは知らないが、一昨日、同い年の友人が電話してきた。「おい、どうしている?。全然、連絡がないから心配していたよ。今日は飲んでいる?。今からそっちへ行くから一緒に飲もう」という。翌日も早朝から仕事があったが、「酩酊しなければいいんだ。何とかなるだろう」と、意を決して出かけることにした。
折も悪く、その日は、後半四連休のスタート日。夜の灯火も大半は消えているだろう。とりあえず、焼鳥屋で待ち合わせた。時間通りに赴くと、既に友人は来ていた。店内をのぞくと満席。な・な・んと、そこに、のび太君(弟みたいな仕事仲間)が、異業種交流の○○会のメンバーと来ていた。挨拶はかわせど、坐る場所がない。すかさず、のび太君が「○○ちゃん、あそこに電話してみたら?」と、彼の遠縁にあたる店を紹介してくれた。
運良く開いていた。団体の予約があったので、開けたのだそうだ。僕たちも便乗することにした。ここのマスターもよく知っている。のび太君と何度も行ったことのある店だ。脱サラのマスターは店を開いて丁度八年目。焼き鳥から、鍋物まで、何でも有りの小料理屋風の店。おすすめは「ソーメンチャンプル」。ゴーヤとソーメンがほどよく混じり合い、皿に山盛りで出してくれる。我々はダイナミックにそれをついばんだものだ。マスターも我々とほぼ同い年カツX1の独身。彼女はどうもいるらしい。僕たちは焼酎に焼き鳥と冷凍鯨なんかをつまみに、話しに興じた。
そうそう、ここで、友人のことを少し紹介しておこう。友人はめっぽう山登りが好きな独身男性。今まで一度も嫁に行った?じゃあなかった。嫁をもらったことがない。男性として欠陥があるわけではない。要するに縁がなかったということだ。彼の自慢話がある。「おいらは武田鉄矢を追い越したぜ}と言う。何のことかと言えば「101回目のプロポーズ」というドラマがあったが、その101回のプロポーズを遙かに追い越したという。なんでも、120回以上はお見合いをしらたしい。僕たちは大笑いだ。
世の中とは不思議なものだ。たったの一回でまとまる人もいれば、彼のように延々とまとまらない場合もある。その違いは何だろう?。「縁」ということになるのだろうか?。彼に縁がないわけではない。縁はあってもそれを生かすことが下手なわけだ。悪く言えば、わがままということになるか?。
彼の口癖はこうだ。「ぼかーーー、気の強い女性はダメ。すこぶる、めっぽう、果てしなく、十二分に優しい女性でなければダメ」という。「そんな女性が今時いるもんね。あきらめと妥協も必要だぜ」と言い、僕たちはげたげたと笑った。「母を訪ねて三千里」という映画があったが、彼の場合は「やさしい女性を求めて120回」ということになるか?。彼の気持ちが分からないでもない。僕だって、アニメの世界ではあるが、あの999のメーテルのごとき女性に、未だ思いを馳せているからだ。なかなか難しい問題だぜ。
彼の素晴らしいところは多々ある。あげれば きりがない。既に父・母はいない。十何年も前に家を新築して、嫁さんを迎えるばかりになっている。「体ひとつで来て」と言って久しいが、先ほど述べたごとく、当たる女性のことごとくが帯に短し、たすきに長しの状況である。もちろん、相手から断られたことも多々あるだろう。そんな彼の家へ何度も遊びに行き、随分と汚し、散らかしてきた思い出がある。
彼の更に圧巻なところ、それは小銭貯金箱の存在だ。何でも、札で買い物をしたおつりを貯金箱に放り投げていたら、100万円以上が貯まったらしい。それを頭金に車を買ったというのだ。「積もれば山」と言うが、いやはやどうして。飽くなき彼の行動は見上げたものだ。僕ならば、貯金箱の鍵を開けては締め、開けては締めで、鍵がなまってしまっているだろう。彼は未だに小銭放り習慣を保っているそうな。彼の所へ来た嫁さんは幸せだろう。「おいらの亡き後はこれは全部おまえのものだよ」と彼は言うに違いない。嫁さんは、「重くてもてないわ」と言って、涙を流すだろう。これはちょっと、飛躍しすぎか?。
てなわけで、僕も連休のほんの刹那の時間を友人と共に過ごしたのでした。
さあ、明日からは平常の暦に戻り、地獄の特訓が再び始まることになる。
すべからく生きなくちゃ・・・・・。
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