夢。ドリーム。なんと響きの良い言葉だろう。小さい頃、「あなたの夢はなんですか?」とよく、聞かれた。この場合の「夢」とは将来実現したい願いや理想のことである。思えば歳と共にその夢らしきことは変化してきた。

小・中学時代はことさら探偵小説が好きだった。江戸川乱歩さんの明智小五郎シリーズ。コナン・ドイルの「シャーロックホームズ」シリーズ。横溝正史さんの金田一耕助シリーズ。図書室から本を借りて、寝そべりながら読みあさったものだ。テレビや映画でもよく見た。興奮した。

かくして、小・中時代の僕の夢は職業として名探偵になることだった。推理と行動を駆使して難問題を解決する。そのスリルと興奮がたまらなく好きだった。その影響が高じて、級友達にニックネームをつけた。もちろん僕が小五郎。他に大五郎と中五郎がいる。今でも、年賀状では、その名前で呼び合っているからおかしい。来る6月に級友会がある。まだ、出席するかどうかは決めかねている。

正直、当時の僕は名探偵明智小五郎どころか、相当の悪ガキだった。何の事でしかられたのか?もう定かではないが、理科の先生に職員室へ呼ばれた。「明智小五郎たる者が、そんなことをするのか?」と言われ、しばらく廊下に立たされた。その頃、父が教頭をしていたので、見かけねてわびを入れたようだ。僕は涙を見せなかった。父は家へ帰ってからも何も言わなかった。男はそのくらいあって、ちょうどいいと思ったのだろうか?。かくして、名探偵も迷探偵のレッテルを貼られることに・・・・。

高校に入学した。その頃には、すっかり探偵気分も冷めて、見渡せば灰色の世界。父が他界し、その悲しみも知らぬまま、訳も分からず受験勉強に取り組んだ。受験勉強が将来のいかなる夢につながるのかなんて、考えてもいなかった。ただ、まさに人がやっているから僕もしてるという感じだ。この頃の夢と言えば、「あああ、早くこの環境から抜け出し、なんでもいいから大人になりたい」と言うことだった。要するに社会の仕組みなど、なにも知らずに世の中は自由で楽しい世界だと思っていたわけだ。

将来、どういう仕事に就きたいとか、何になりたいとか言う、目標も夢もないまま、とある地方大学に受かった。四年間、無為無策のノンポリで大学時代を過ごしたようだ。何かの本で読んだが、大学は専門的勉強をすることはもちろん大事だが、それ以上に、「物の見方、考え方」を養うところであると書いてあった。

残念ながら、僕が養ったものは、中途半端な知識と、遊びと、純粋さだけだ。自分に適した、又、自分が好きな仕事が何なのか、まるっきり分からなかった。父が国語の教員だったせいもあり、文系を選択した。今では、文系的ことであれ、理系的ことであれ、「だぼはぜ」みたいに、何にでも食らいつく「とっちゃん坊や」である。

ただ一つ、当時、これにだけはなりたくないという職業があった。「学校の先生」である。父の姿や苦労している母の姿を見てきたからそう思ったのかも知れない。教壇に立つ分にはいいが、それ以外の周りの世界が、嫌に感じられたのである。父や母はことあるごとにそんな世の中の醜いことや、身の回りの嫌なことに蓋をした。そのことは僕たち兄弟にとっては、良かったのかもしれない。少なくとも、社会をきれいな目で見る事が出来たからだ。

のらりくらり、平々凡々と時が流れた。就職の時がやってきた。さしたる目的もなくある企業へ採用された。初めて飛び出した世の中はまさに「泳げたいやき君」のごとき、桃色サンゴが手を振って僕を迎えてくれた。「桃色吐息」という歌のごとく、そんな世界こそ僕の夢だと思えた。だが、その甘美な日常は長く続かなかった。僕は挫折した。理由は何だったのだろう?。

当時は「何故なんだ?」と、周りを悪く思った。今思うとそれは間違いである。僕は社会の構造をよく知らなかった。競争の社会であることを理解していなかった。世の中は受験戦争の延長みたいな所だった。何が違うかと言えば、給料をもらい、企業に貢献すれば出世、昇進の道が開かれる社会。それが世の中である。企業は戦士を求めていた。能力のある人材を求めていた。僕はその企業戦士になれなかった。うまく適合出来なかったわけだ。

何故なのか?。多分、打たれ弱い性格を持っていたことがその一つ。更には最初は皆、そうかも知れないが、心臓に毛が生えるほどには社会的に成長していない。僕の場合はその後も、産毛さえ生えなかった。よくいえば純粋さが邪魔をし、悪く言えば世間知らずで、ハングリー精神が欠如していたのだろう。引き留める親兄弟や上司の言葉も聞かずに企業を去った。しばらくは途方に暮れたが後悔はなかった。

かくして新たに描いた夢は、「俺みたいな性格の者は、自分で出来る何かを見つけるしかない。個人事業なら性格に合っているかもしれない」と、思ったことである。紆余屈折しながら、何とか今の自分にたどり着いた。人には、運・不運もあるが、僕は結構、運に恵まれてきたようだ。そのことには感謝だ。

振り返って考えてみると、良しにつけ悪しきにつけ、夢らしき夢も持たず、「ただ、ひたすら、のらりくらりと、純粋に」を心底において、生きてきたように思う。となれば、あの種田山頭火や、良寛さんみたいに、自然と共に生き、世界を行脚するのもいいかなーーなんて思ったこともあるが、小心者の僕にはその勇気とてない。今では、明日がよからんことを願いつつ生きるのみだ。

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