水無月、間近。

2008年5月29日 日常
 昨日はやや激しい雨風。今日はどんよりした曇り空。時折、お日様が顔を覗かせている。梅雨時に相応しい天気だ。ぼた餅みたいに太った紫陽花の花が、重たそうに首をもたげているのがおかしい。

六月・・・水無月はもうすぐだ。水無月とは水の無い月かと思っていたが、さにあらず。水の月らしい。田んぼに水を入れる月の意らしい。万葉集にも歌がある。「水無月の地(つち)さへ割(さ)けて照る日にも」

今、田んぼでは麦刈りが盛んに行われている。早朝より、農機具の音が、空気をふるわせる。刈り取られた麦わらは昔は燃やしていたが、この頃はぐるぐるに巻き取られ、袋詰めになり、家畜等の飼料となる。もしくは田んぼの中に埋め戻し、再利用することになっている。燃やすと煙が道路に充満し交通の妨げになり、かつ、近所の家の中に煙が舞い込み、迷惑になると言う理由からだ。僕に言わせれば、ほんの一時期のことで、我慢すれば済むことだと思うのだが・・・・・。刈り取りが終わるといよいよ水無月。田んぼに水を注ぐ季節となる。まさに生業は自然と共に成り立っている。

そんな風景の中、僕の身の回りに大きな変化はなし。ただ、昨日は友人の父上が他界したので、葬式に参列した。韻のこもった読経を聞きながら香を手向けた。お孫さんが述べた別れの言葉は涙を誘った。

こういう穏やかな人の死に接すると、敬虔な気持ちになる。一方、自ら命を断つ死は何ともいたたまれない。最近、美しいフリーの女性アナウンサーが命を断った。そうさせた彼女の気持ちに何があったのか分からない。

時々思うのだが、人生、生きていく上で、どうすることも出来ない八方ふさがりというものがあるのだろうかって?。のらりくらりと生きている僕にはそう言うことが目に見えないのかも知れない。それでも、何か悲しい気がする。何か出来なかったのだろうか?。

更に、時々思うのだが、僕に幽体離脱の能力があるならば、自ら命を断とうとしている人の所へ飛んでいき、「ダメ、ダメ、そんなことをしちゃダメ」と強く抱きしめ、「こんなにも愛している人がいるんだよ」と、言い、思いとどまらせたいと思う。残念ながらこれもアニメの世界か?。

人間にはこの世で避けられない四つの苦しみ、「生老病死」という仏教の言葉がある。その四つの苦しみを救えるのは「愛」でしかないと、僕は思っている。愛も抽象的で範囲が広く、つかみ所がない。僕の言いたい「愛」は、すかっとさわやかなコカコーラや、ペプシコーラみたいなもので、喜びを享受しあえるものだ。重荷にならず、愛されているという実感。生きていく上で必要なものはこれではないんだろうか?。

ただ、そんな愛さえ乗り越えてしまう悪魔がいる。だからこそ、僕は幽体離脱して、その悪魔と闘いたいわけだ。闘いに勝って日が暮れて。そんな生き方が僕に科せられている課題だ。

おっと、昼休みの時間も少なくなった。本業に戻ろう。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

最新のコメント

この日記について

日記内を検索