六月の空は悲しくもあり、楽しくもあり。悲しいことと言えば、先日、隣家で火事があったことだ。隣家といっても、川向こうの一軒家で距離がはなれている。我が家にも近隣にも被害はなかった。ただ、燃えさかる炎には、さながらにして恐怖を覚えた。以前にもそれらしきことを述べたが、天災であれ、人災であれ、人間の営みは、この大自然の中では、いかにちっぽけな存在なのかと、あらためて思った。どう、もがいても個人の力ではなすすべもない。抵抗できないのだ。5〜6台の消防車が駆けつけ、数時間後に鎮火した。怪我等無かったことが幸いである。

悲しい話しはこれくらいにして、楽しい話しを書こう。6月1日は、午前中の仕事を終えて、故郷へ飛んだ。10年ぶりの同級会である。行こうか、行くまいかと迷ったが、結局、行くことにした。午後1時開催だったが、僕は1時間遅れでに到着。母の所で、荷物を下ろし、会場へと赴いた。

来賓である5人の先生達の挨拶があったのだろう。会場の同級生達は、まだ、借りてきた猫みたいで、気勢をあげている者はいなかった。大広間に約80名の級友達がお膳を前に坐っていた。

僕は頭をかきかき、末席の方へ着座。一瞬、皆の視線を浴びた。笑いでごまかしながら、周囲を眺めた。知らぬ存ぜずの人たちばかり。見たような顔でも名前が出てこない。それもそうだよなーーーー。何十年ぶりに再会した人たちも多々いたから、当然と言えば当然だ。

僕は例によって、ビールでのどを潤し、焼酎へと切り替えた。口をつけたとたんに各自の自己紹介が始まった。それぞれ立ち上がりマイクを持ってしゃべり始めた。僕は最後から2番目だった。「へえーーーつ、ほうーーー、あははは・・・」とかの言葉が飛びかい、拍手で次の者へバトンタッチ。

皆の挨拶を聞きながら感じたことがある。とにかく、皆、挨拶というか自己紹介が上手である。「あのガキ大将が、あんなに堂々と立派な言葉をしゃべるなんて、これ如何に?」と、我が耳を疑った。「時は人を変える」と言うが。まさに皆、成長し、アリストテレスの言う、「社会的動物」となったわけだ。
社会的動物となれば、子供のままと言うわけにもいくまい。

マイクがどんどん、僕の近くへやってくる。クライアントとの会話には慣れているが、自己紹介となると、僕は不得手である。いつも「三枚目となり笑いを誘わなくちゃと」と気負ってしまう。それで、失敗するわけだ。人には平常心、平常心と豪語している自分が恥ずかしくさえある。まあ、這々の体でその場をしのいだ。

宴も佳境に入り、僕は、デジカメを片手にあちこちの席へと足を運んだ。懐かしき会話をひとしきり行い、デジカメでパチリと記念撮影。おおよそ、70〜80枚くらいは撮っただろう。家へ帰り、パソコンへ 取り込んだ。一人一人の顔をアップにして、びっくり仰天。「おじん、おばん、枯れ男、山姥」のオンパレード。時はかくも人を変えてしまうものかと驚きつつ、級友に撮ってもらったわが写真を拝見。「あっと、驚く為五郎」ではないが、人様のことばかりは言えないものよ。僕の写真は即、消去処分となった。

会場の借り時間は1時から5時まで。佳境を過ぎ、皆、だらりとなった頃、カラオケタイム。ここまで来ると自己顕示欲の強い僕は、戦陣を切って演台に立った。数少ないレパートリーの中から、日頃鍛えた歌を披露した。いわずもがな、かの名曲、柏原芳恵さんの、「春なのに」である。同級会にはまさに相応しい歌だ。幾分か時季外れではあるが・・・・。

皆のお涙頂戴と情感を込めておらんだが、誰あーーーれも聞いている気配がない。しゃべりに興じているのだ。「これじゃーーーBGMだぜ」と、思ったが、娑婆世界というものはそういうものだ。天動説のごとく、僕を中心にして世の中が動いているわけではない。皆がそれぞれに動いているわけだ。幾ばくかの拍手があり、僕は演台を降りた。その後、何人も級友達が歌ったが、確かに僕も聞いていなかった。これはこれでいいわけだ。

紙面が長くなった、この続きは次回に。とりもなおさず、母と再会し翌日の半日を一緒に過ごせたことが良かった。故郷を立つときはいつも後ろ髪を引かれる。ただただ、母に偉大さに頭が下がる思いだ。

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