雨の日曜日。僕はなすすべもなく、だらだらと仕事をしている。午後4時から仲間同士の会議。明後日から行く予定になっている国内旅行の最終打ち合わせだ。あまり乗り気ではない。が、いかなくちゃーーーなるまいて。リヤカー^にひかれて、善光寺参りではないが、チャーターしたマイクロバスで行くので世話なしだ。
こんな団体旅行と違って、一人や二人で行く旅も楽しい。旅に出て初めて分かることがある。それは故郷や今住んでいる所の良さをあらためて思い出すことだ。「故郷は遠きにありて思うもの。そして悲しくうたうもの」。まさにしかりである。思わず「おつかさーーーーーん」と叫びたくなる。こういう心境になるのは僕ばかりではないだろう。今回の団体旅行は、故郷を思い出すにはちょっと場所が近すぎるか?。
宴会で歌う歌は、決まって「名残雪」や「コスモス」。調子がよいときは「哀愁のカサブランカ」。「メリジェーン」などがある。後は、野となれ山となれで、何でもオッケー。時季外れだが「きよしこの夜」なんかが飛び出しそう。
宴会の前にちょっと一風呂。神経痛、リュウマチとかに効能があると銘打った名湯につかることになる。大浴場で人がいなければ平泳ぎを披露。とどのように重くなった体はぶくぶくと沈む。必死でかえる泳ぎだ。
一泳ぎの後、ホテル専用のタオルに石けんを付け、鏡とにらめっこしながら体を洗う。時々顔を変形させながら・・・。次に、風前の灯火となった頭髪に、シャンプーをふりかけ、頭を洗おうと思えど、どこまでが顔で、どこからが頭かよく分からない。そんな状態ではシャンプーも泡が立たないから、一旦、洗面器で泡を立て、リサイクルシャンプーで頑張っております。これはかの有名な漫談家、綾小路君麻呂さんの、十八番の弁である。まだ、僕の場合はそこまではいかないが・・・・。
宴が終われば、二次会三次会と外へ出て飲む者もおれば、部屋で談をとる者もいる。僕ら中堅層は、その時に応じて行動している。時間が許せば、僕はマッサージを頼むことが多い。マッサージは旅での最高のご馳走だ。フロントへ予約をしておく。さて、今日の「もみ手はどんな人かしら?」と期待に胸を弾ませて待っていると、ドアを「コンコン」とノックする音が。「はい、どうぞ」と招き入れると、な・な・な・んと、ピチピチギャルのお姉様が。
「どこが一番、凝っていますか」と聞いてくる。「僕は全身です」と応える。「はい。うつぶせになって」と促され、魔法のような、いや、カモシカのような、いやいや、白魚のような指がぐいぐいと、筋肉に食い込む。おっと筋肉ばかりではなかった。脂肪兼筋肉だ。井上陽水さんの「夢の中へ」という歌が脳裏をかすめる。「捜し物は何ですか?。見つけにくいものですか?夢の中へ夢の中へ・・・・・」。思わず睡魔に襲われそうになる頃、「はい。お時間です」と、ウグイスのような声が。僕は「延長だあーーーーー」と、つい、言葉を滑べらせてしまう。
今述べたようなケースはごく、ごく、まれ。普通はそうではない。ドアを開くと、山姥を思わせるような白衣の老女がドアの前に立っている。僕は「あーーーっ」と驚きながら、「どうぞどうぞ」と招き入れる。「ど・こ・が・凝って・い・ま・す・か?」と老女が聞く。「は、はいーー。肩と腰です」と言うと、「う・つ・ぶ・せ・になってください」と言う。「随分凝っていますねーー」。「そ、そ、そうですか?」と、僕はどぎまぎしながら応える。ここまでは、先ほどのパターンとほぼ一緒だ。
もみ慣れた枯れ木のような手が、はずさずツボを押す。「つ・よ・い・で・す・か?」と老女は僕に聞く。「僕は、いいえ、いえ、丁度良いです」と応える。本当はもっと強くがいいのだが、それが言えない。なんだか、ばあやみたいな人に揉んでもらうのに気が引けるのだ。僕の脳細胞は千々に乱れて、一睡も出来ない。「はい。おわりましたよ」と老女が僕に告げる。僕は「ぱっ」と飛び起きて、感謝の念を述べ、送り出す。疲れがどおおおおおつと出てくる。いやはや。だから旅はおもしろいのだ。
今度の旅がどういう状況に出くわすかは分からない。知るは神・仏のみである。
こんな団体旅行と違って、一人や二人で行く旅も楽しい。旅に出て初めて分かることがある。それは故郷や今住んでいる所の良さをあらためて思い出すことだ。「故郷は遠きにありて思うもの。そして悲しくうたうもの」。まさにしかりである。思わず「おつかさーーーーーん」と叫びたくなる。こういう心境になるのは僕ばかりではないだろう。今回の団体旅行は、故郷を思い出すにはちょっと場所が近すぎるか?。
宴会で歌う歌は、決まって「名残雪」や「コスモス」。調子がよいときは「哀愁のカサブランカ」。「メリジェーン」などがある。後は、野となれ山となれで、何でもオッケー。時季外れだが「きよしこの夜」なんかが飛び出しそう。
宴会の前にちょっと一風呂。神経痛、リュウマチとかに効能があると銘打った名湯につかることになる。大浴場で人がいなければ平泳ぎを披露。とどのように重くなった体はぶくぶくと沈む。必死でかえる泳ぎだ。
一泳ぎの後、ホテル専用のタオルに石けんを付け、鏡とにらめっこしながら体を洗う。時々顔を変形させながら・・・。次に、風前の灯火となった頭髪に、シャンプーをふりかけ、頭を洗おうと思えど、どこまでが顔で、どこからが頭かよく分からない。そんな状態ではシャンプーも泡が立たないから、一旦、洗面器で泡を立て、リサイクルシャンプーで頑張っております。これはかの有名な漫談家、綾小路君麻呂さんの、十八番の弁である。まだ、僕の場合はそこまではいかないが・・・・。
宴が終われば、二次会三次会と外へ出て飲む者もおれば、部屋で談をとる者もいる。僕ら中堅層は、その時に応じて行動している。時間が許せば、僕はマッサージを頼むことが多い。マッサージは旅での最高のご馳走だ。フロントへ予約をしておく。さて、今日の「もみ手はどんな人かしら?」と期待に胸を弾ませて待っていると、ドアを「コンコン」とノックする音が。「はい、どうぞ」と招き入れると、な・な・な・んと、ピチピチギャルのお姉様が。
「どこが一番、凝っていますか」と聞いてくる。「僕は全身です」と応える。「はい。うつぶせになって」と促され、魔法のような、いや、カモシカのような、いやいや、白魚のような指がぐいぐいと、筋肉に食い込む。おっと筋肉ばかりではなかった。脂肪兼筋肉だ。井上陽水さんの「夢の中へ」という歌が脳裏をかすめる。「捜し物は何ですか?。見つけにくいものですか?夢の中へ夢の中へ・・・・・」。思わず睡魔に襲われそうになる頃、「はい。お時間です」と、ウグイスのような声が。僕は「延長だあーーーーー」と、つい、言葉を滑べらせてしまう。
今述べたようなケースはごく、ごく、まれ。普通はそうではない。ドアを開くと、山姥を思わせるような白衣の老女がドアの前に立っている。僕は「あーーーっ」と驚きながら、「どうぞどうぞ」と招き入れる。「ど・こ・が・凝って・い・ま・す・か?」と老女が聞く。「は、はいーー。肩と腰です」と言うと、「う・つ・ぶ・せ・になってください」と言う。「随分凝っていますねーー」。「そ、そ、そうですか?」と、僕はどぎまぎしながら応える。ここまでは、先ほどのパターンとほぼ一緒だ。
もみ慣れた枯れ木のような手が、はずさずツボを押す。「つ・よ・い・で・す・か?」と老女は僕に聞く。「僕は、いいえ、いえ、丁度良いです」と応える。本当はもっと強くがいいのだが、それが言えない。なんだか、ばあやみたいな人に揉んでもらうのに気が引けるのだ。僕の脳細胞は千々に乱れて、一睡も出来ない。「はい。おわりましたよ」と老女が僕に告げる。僕は「ぱっ」と飛び起きて、感謝の念を述べ、送り出す。疲れがどおおおおおつと出てくる。いやはや。だから旅はおもしろいのだ。
今度の旅がどういう状況に出くわすかは分からない。知るは神・仏のみである。
コメント