やっと、目覚めた僕。
2008年6月23日 日常 久々の日記だ。やっと、旅の呪縛から解放された。ここ、数日仕事が手につかないでいた。よくあることだ。特に旅が楽しかったという訳でもない。飲んで寝て、あっちこっち歩き回る。その繰り返しだ。
名所旧跡の地では、どこからやってきたのか観光バスのオンパレード。バスから降りてくるのは、老若男女の老ばかり。さすが、長寿大国の日本。皆、元気だぜ。僕たちが負けそう。
旅先で勉強になることと言えば、学校では教えてくれなかった、その地の歴史を知ることかも知れない。お城の中を見学した。殿様の食事のメニュー。湯殿や、トイレ。女官達の待機場所。台所。なかなか合理的に出来ていて、感心した。昔も今も人間の営みは基本的には同じだから、当然と言えば当然だ。
門前には、その地の名物と称した諸々の土産品が所狭しと置いてある。「買おうか?。買うまいか?。いややはり買おう」と言うことで、店員さんの口車に乗せられて、つい買ってしまう。この辺が義理人情にもろい日本人、他人が買えば自分も欲しくなると言う日本人の特性か?。
というと、僕は外国人みたいに聞こえるが、何を隠そう。僕は先祖がれっきとしたモンゴリアンである。頭の毛が天然パーマだったので、学生時代は嫌だったが、いまはそうではない。天然も結構、かっこいいものだ。
話しが飛んでしまった。ホテルは山の中にあった。宴会ではコンパニオンさんを二名呼んで、踊れや歌えやのどんちゃん騒ぎ。御膳も日頃食べたことのないものばかり。次から次へと運ばれてくる。さすがに全部を平らげるには至らなかった。二時間半ばかりの宴会。長老の閉会の言葉で宴会の幕を閉じた。
仲間達は三々五々と散っていく。祭りの後の寂しさとはこういう状態を言うのだろう。僕ら数名は部屋に戻り飲み直すか、街へ繰り出すか思案した。結局、街へ繰り出すには遠すぎると言うことで、早めの就寝とあいなった。僕は時間が出来たので、当ホテル内のエステを予約した。即オッケーで、いくつかのコースの中から、「インドネシア式マッサージ」を所望した。
揉み手は外国人かな?と思ったが、さにあらず。頑丈な体格の日本人女性だった。一瞬びびった。「はい。全部脱いで、特製のパンツとスカートに着替えて」という。「えええつ、スカート?」と思ったが素直に従った。ベッドにうつぶせになり、ベッドの先端近くに開けられたホールの中に顔を埋めた。アゴがつかえて、やや苦しかったが、我慢、我慢。ホールの薄暗がりの中には、くつろぎを与えるかのごとく、色とりどりの造花があしらえてあった。
魔法の指ならぬ、分厚い指が首、肩、腰と這っていった。なかなか気持ちが良かった。BGMはインドネシアの音楽みたいだった。さもありなん。インドネシア風マッサージだから。足のふくらはぎあたりに指が這った。「痛い」と思えど、我慢。我慢。ほぼ、一時間のコース。大枚をはたいて、ふらふらしながら部屋へ戻った。三人部屋で、既に一人が寝ていて、もう一人はテレビを見ていた。茶を飲みながら二人で話しに興じた。しばらくして寝に着いたが、かえるの合掌ならぬいびきの合掌に、悶々ともだえながら、いつの間にか僕も船をこいだようだ。
そんな夜を二晩も経験すれば、もう充分。やはり、独り寝の子守歌が最高だぜ。どうも、僕は枕が変わると寝付きが悪くなる。てなわけで、つつがなく二泊三日の旅を終えて、無事に帰還したのでありました。僕の為に買ったお土産は一個。わざわざ旅先で買わなくても良かったが、滅多に自分で買い物をしないので良いチャンスだった。買った物は折りたたみ式ハシ。布製の収納袋が付いていて、細ひもでとじる。上着のポケットにポンと収まる。二個持つ携帯電話も男のステータスなら、自分のハシを料理屋やスナックへ持って行き、そのハシを利用するのも男のステータスだ。
昨今、環境問題がクローズアップされている。料理屋の割り箸を使わないのも、環境問題改善へのささやかな行動である。皆が皆、そうすれば、割り箸は将来、死語になるだろう。早くそうなってもいいのではと思う。
とりもなおさず、幾日も「グータラ」としていてはいけない。やっと、今日あたり目覚めた僕でした。
名所旧跡の地では、どこからやってきたのか観光バスのオンパレード。バスから降りてくるのは、老若男女の老ばかり。さすが、長寿大国の日本。皆、元気だぜ。僕たちが負けそう。
旅先で勉強になることと言えば、学校では教えてくれなかった、その地の歴史を知ることかも知れない。お城の中を見学した。殿様の食事のメニュー。湯殿や、トイレ。女官達の待機場所。台所。なかなか合理的に出来ていて、感心した。昔も今も人間の営みは基本的には同じだから、当然と言えば当然だ。
門前には、その地の名物と称した諸々の土産品が所狭しと置いてある。「買おうか?。買うまいか?。いややはり買おう」と言うことで、店員さんの口車に乗せられて、つい買ってしまう。この辺が義理人情にもろい日本人、他人が買えば自分も欲しくなると言う日本人の特性か?。
というと、僕は外国人みたいに聞こえるが、何を隠そう。僕は先祖がれっきとしたモンゴリアンである。頭の毛が天然パーマだったので、学生時代は嫌だったが、いまはそうではない。天然も結構、かっこいいものだ。
話しが飛んでしまった。ホテルは山の中にあった。宴会ではコンパニオンさんを二名呼んで、踊れや歌えやのどんちゃん騒ぎ。御膳も日頃食べたことのないものばかり。次から次へと運ばれてくる。さすがに全部を平らげるには至らなかった。二時間半ばかりの宴会。長老の閉会の言葉で宴会の幕を閉じた。
仲間達は三々五々と散っていく。祭りの後の寂しさとはこういう状態を言うのだろう。僕ら数名は部屋に戻り飲み直すか、街へ繰り出すか思案した。結局、街へ繰り出すには遠すぎると言うことで、早めの就寝とあいなった。僕は時間が出来たので、当ホテル内のエステを予約した。即オッケーで、いくつかのコースの中から、「インドネシア式マッサージ」を所望した。
揉み手は外国人かな?と思ったが、さにあらず。頑丈な体格の日本人女性だった。一瞬びびった。「はい。全部脱いで、特製のパンツとスカートに着替えて」という。「えええつ、スカート?」と思ったが素直に従った。ベッドにうつぶせになり、ベッドの先端近くに開けられたホールの中に顔を埋めた。アゴがつかえて、やや苦しかったが、我慢、我慢。ホールの薄暗がりの中には、くつろぎを与えるかのごとく、色とりどりの造花があしらえてあった。
魔法の指ならぬ、分厚い指が首、肩、腰と這っていった。なかなか気持ちが良かった。BGMはインドネシアの音楽みたいだった。さもありなん。インドネシア風マッサージだから。足のふくらはぎあたりに指が這った。「痛い」と思えど、我慢。我慢。ほぼ、一時間のコース。大枚をはたいて、ふらふらしながら部屋へ戻った。三人部屋で、既に一人が寝ていて、もう一人はテレビを見ていた。茶を飲みながら二人で話しに興じた。しばらくして寝に着いたが、かえるの合掌ならぬいびきの合掌に、悶々ともだえながら、いつの間にか僕も船をこいだようだ。
そんな夜を二晩も経験すれば、もう充分。やはり、独り寝の子守歌が最高だぜ。どうも、僕は枕が変わると寝付きが悪くなる。てなわけで、つつがなく二泊三日の旅を終えて、無事に帰還したのでありました。僕の為に買ったお土産は一個。わざわざ旅先で買わなくても良かったが、滅多に自分で買い物をしないので良いチャンスだった。買った物は折りたたみ式ハシ。布製の収納袋が付いていて、細ひもでとじる。上着のポケットにポンと収まる。二個持つ携帯電話も男のステータスなら、自分のハシを料理屋やスナックへ持って行き、そのハシを利用するのも男のステータスだ。
昨今、環境問題がクローズアップされている。料理屋の割り箸を使わないのも、環境問題改善へのささやかな行動である。皆が皆、そうすれば、割り箸は将来、死語になるだろう。早くそうなってもいいのではと思う。
とりもなおさず、幾日も「グータラ」としていてはいけない。やっと、今日あたり目覚めた僕でした。
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