やっと、今日の仕事をかたづけた。と言うより、打ち切ったという方が正しいか。天気は相変わらずぐずついている。最近、ギンギラと輝く太陽にお目にかかっていない。一日中、黒い雲が空を埋め尽くしている。梅雨だから仕方がないと言えばそれまでだが・・・。

それでも、僕は梅雨時が好きである。なんとなれば、結構、娑婆世界が暇だからである。僕ものんびりと出来る。忙しいのは農家の人たちだろう。梅雨の恵みを受け田んぼには既に水が貼られている。早朝より機械の音がとどろく。ワンマンカーの田植機が、行ったり来たりしながら苗を植えていく。たった一人での作業である。昔の田植えの風景は今いずこ?。

僕も昔、故郷の近くで、いぐさ(畳表の材料)刈りのアルバイトをしたことがある。一家総出で、腰をかがめて、鎌でいぐさを刈り取る。そりゃあーーーきついの、なんのって。刈り取った後は、薬品か何かにつけ込み、足で踏む。その後、道ばたに並べて乾燥させていた。今は乾燥機械があるので、道ばたに干すことはない。くたくたになりながら、毎日アルバイトを終えた。「あーーーあ、労働は辛いぜ」と思ったことよ。

そんな中、楽しみもあった。昼食時に食べた、にぎりめしやスイカの美味しかったこと。労働の後の一杯のビールみたいなものだ。最後に残った一個のスイカに誰も手を出さなかった。すかさず、僕が頂戴した。その時、雇い主のおじさんから、「えらい」と言ってほめられたが、何故ほめられたのか、未だに分からない。確かに最後に残った一個に手も出すのは勇気のいることだろう。皆、遠慮するからだ。思えば当時の僕に遠慮と言う言葉はなかった。むしろ、誰も食べないのなら、僕が頂こうと、単純にに手をつけたまでだ。それが「えらい」とかこれいかに?。

いぐさの後は田植えである。そこまで手伝わないか?と声をかけられたが、さすがの僕も丁重に断った。農家の大変さが身にしみた経験であった。

今、農家は大規模農業としてやっていかないと、個人の零細農業では、とうていやっていけない状況にあると聞いた。高価な農業機械、肥料の高騰、作物のできすぎによる価格の暴落。若い人たちの農業離れ。良い材料は見あたらない。

僕の友人にも農業をやっている者がいる。なんでも、年間に労働するのは三分の一程度という。「えええーーーっ」と僕は目を丸くしたが、それほど機械化が進み、農業も合理的になったわけだ。と同時に、農業だけでは生計の維持が難しくなった。空いた時間を外貨稼ぎと言うことで、パートやらの外の仕事に赴くわけだ。

こういう世の中の仕組みが良いのか悪いのか分からない。ただ、どうであれ、日本は食料自給率が今、40%を割っている。ほとんどを輸入に頼っているわけだ。輸入に依存する体質は良いとは言えないだろう。「親亀こけたら、皆こけた」と言うことに成りかねない。

いずれ、世界的食料附則の時代がやってくると、いろんな 学者が警告している。僕は友人にいつも言っているが、「決して農地を手放してはいけないよ」って。なぜなら、最後に生き残る者は土地を所有している者に違いないと思うからだ。

工業立国日本だが、再び農業立国日本に戻ってもいいのではないかと、時々思うことがある。

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