時々思うことがある。今、この地球上に何千種、何万種の生命体が生きているのか知らないが、皆、何のために生存しているのだろうかって?。また、人間はこの地球上にあって、素晴らしい進化を遂げ、自然界の最高位を得ているように見えるが、果たしてそうなんだろうかって?。

肉を食べた。魚を食べた。野菜も、フルーツも・・・・・。思えば、食する対象物は全て、生命体だ。人間は他の生命体を「餌食」にして、生きているわけだ。それがいいとか悪いとかいう道徳や哲学の問題ではなくて、何の不思議もなく食していることに疑問を覚えた。

昔、生物学で、適者生存、自然淘汰、弱肉強食とかいう言葉を知った。好きな言葉ではないが、人間はまさに適者生存、自然淘汰、弱肉強食を地で行っている。

そこで僕は考えた。自然界の覇者たる我々人間だって、何かの、誰かの「餌食」、「えさ」になっているのでは?と。その、「何か」とか「誰か」というのは何だろう?。言わずもがな、大自然界の総統たる「宇宙様」なのではと。

「我々は宇宙から生かされている。何かの目的を持って」と、色んな本に書いてある。その目的とは何か?。きれい事で考えれば、我々は宇宙の進化の担い手と言うことになる。しかし、きれい事ばかりでは、すまされまい。肉や魚をたらふくまんま、平気で食らっているこの人間達を、宇宙はまさに「格好のえさ」として食らっているのではないかと、ふと、そう思った。

生きとし生けるもの、皆、その生を次の生へバトンタッチして一生を終える。昨今は火葬にふせられ、あるいは時間をかけて分解し、すべては、原子や分子の形となって、宇宙空間へ散らばる。宇宙は「待ってました」とばかりに、まだ生新しいこの原子や分子を取り込む。「おいしいぜ」と、よだれを流しながら食し、宇宙も次の生を育むための準備をするわけだ。そういう目的もあると考えてもいいだろう。

良しに付け悪しきにつけ、人間は「思考する」という能力を持ってしまった。「宇宙の餌食になるなら死なないほうがまし」という考えもあろうが、他の生き物を平気で 食らっている人間にそう言う資格はないだろう。キリストの言葉ではないが、「今日一日の糧に感謝します」という気持ちこそ、肉も魚も救われるわけだ。宇宙もそんな気持ちを持った人間の原子や分子を「うまい」と言って、食べるに違いない。

いやあああ、夏ばてが僕の嗜好・・・、じゃなくて思考を千々に乱れさせる。
もう9月3日だ。ミッドナイトにベッドインだ。





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