日付が変わると、もう12月だった。
2009年12月1日 日常いよいよ11月も終わろうとしている。恐らくこの日記が書き上がる頃は、12月になっているだろう。最近の僕は、腑抜け状態で、仕事にも身が入らない。二足のわらじを履くと、両方に同じ比重をかけることが出来ない。ま、これは僕の心の弱さに起因するのだろう。
とにもかくも、11月が終わりだ。さらば11月。されど11月。色んな事があった。僕は行事の後始末をしながら、嬉しいのか、むなしいのか、どちらとも言えない複雑な気持ちで、今を迎えている。
嬉しかった事を書こう。ある友人が音頭をとって、10名程度の利害関係のない知人達を集めて、小料理屋で僕を祝ってくれた。まさか、記念品までもらうとは夢にもおもわじ。黄金食に輝くネクタイだった。似合う似合わないは別として、則、包装紙をはがし、首に当ててみた。「きまったぜ」と言いたかったが、とりあえずは笑顔で感謝だ。
世話になるばかりでは申し訳ないと思い、滅多に飲まない上等の酒を2本持参した。なにしろ、皆、のんべーばかりだ。僕の祝いにかこつけて、ちゃっかり飲もうというのも、一つの目的なんだろう。飲むのにもそれなりの理由が必要というわけだ。何はともあれ、その場は「ろは」ですんだ。
例によって僕は、事前に考えていたお礼の挨拶を披露。とりあえず、笑いを誘ったから、成功というものだ。2次会へは7~8名が参加した。今度はスナックだ。歌でもおらぼうという計らいである。僕は「白いブランコ」というかの名曲を、同伴の女性とデュエット。心も体も揺れてしまった。すっかり酩酊だ。この後は記憶も定かではない。
もう一つ、嬉しかったこと。これまた超、久々に、どらえもん君と、のび太君の2代目を伴い大都会とやらへ行けた事である。仕事である。飛行機が懐かしく異国の空を思い出した。早く乗りたい一心で、第一関門のゲートをくぐった。「キンコンカン」と音がした。ゲートをくぐると、そこには仁王立ちした怖い番人が立っていた。そばにいた能面のような女性が、「ポケットの物を出して。何か金属製のものを持っていませんか」という。僕は「えええつ」と驚きの表情を見せ、ポケットに手を入れた。小銭が出てきた。「もう一度ゲートをくぐって」と女性が指図した。番人の男は、厳しい表情で僕を眺めていた。僕は素知らぬ顔で再びゲートをくぐった。静寂の時が流れた。無事通過だ。番人の男は、相変わらず僕を眺めていた。僕は愛想笑いを浮かべてその場を切り抜けた。どらえもん君が、「にやにや」と笑っている。不愉快なやつと思ったが、まああいいか。仕事の旅は始まったばかりだ。
どらえもん君は機内で、持参の握り飯を食べ始めた。僕に、「一つどうか?」と彼が言ったが、さすがに遠慮した。アシスタントパ-サーと言うんだったっけ?、キャビンアテンダントというんだったっけ?、忘れたが、昔風に言えば、スチュワーデスっさんが笑っていた。僕も笑った。さすがにどらえもん君だ。お腹から魔法の何かを出すどころか、お腹に、握り飯を放り込んでしまった。その後は、互いに眠りについた。
都会はまぶしく、行き交う人々が皆、我々と違うように感じられた。そのことが顕著に思えたのは、電車に乗ったときである。4人掛けの椅子に、僕とどらえもん君が、対角線上に座った。(のび太君2代目はこの電車に乗車しなかった。)止まる駅駅で、人が乗り降りする。混んできた。僕とどらえもん君の席は、二つ空いていた。誰も座らない。何故だ?と思った。そうそう、僕の自己紹介を忘れていた。何を隠そう。僕はジャイアン。やっと、理由が分かった。図体の大きいどらえもん君と、人相の悪そうなジャイアンが腕組みをしながら、席に座っていると誰もが恐怖を覚え、近づかないのも道理である。おかげで、僕たちはゆっくりと電車の旅を満喫できた。ただ一つの不満を除けば・・・・・。一つの不満とは乗車時間が長いことだ。田舎では車で「ツーツラツー」と走れば目的地。しかるに、都会での長時間の電車は退屈である。
不満を言っても仕方がない。おっと、もう12月1日の午前零時になろうとしている。書きたいことは山ほどあるが、これくらいで、今日は止めておこう。
とにもかくも、11月が終わりだ。さらば11月。されど11月。色んな事があった。僕は行事の後始末をしながら、嬉しいのか、むなしいのか、どちらとも言えない複雑な気持ちで、今を迎えている。
嬉しかった事を書こう。ある友人が音頭をとって、10名程度の利害関係のない知人達を集めて、小料理屋で僕を祝ってくれた。まさか、記念品までもらうとは夢にもおもわじ。黄金食に輝くネクタイだった。似合う似合わないは別として、則、包装紙をはがし、首に当ててみた。「きまったぜ」と言いたかったが、とりあえずは笑顔で感謝だ。
世話になるばかりでは申し訳ないと思い、滅多に飲まない上等の酒を2本持参した。なにしろ、皆、のんべーばかりだ。僕の祝いにかこつけて、ちゃっかり飲もうというのも、一つの目的なんだろう。飲むのにもそれなりの理由が必要というわけだ。何はともあれ、その場は「ろは」ですんだ。
例によって僕は、事前に考えていたお礼の挨拶を披露。とりあえず、笑いを誘ったから、成功というものだ。2次会へは7~8名が参加した。今度はスナックだ。歌でもおらぼうという計らいである。僕は「白いブランコ」というかの名曲を、同伴の女性とデュエット。心も体も揺れてしまった。すっかり酩酊だ。この後は記憶も定かではない。
もう一つ、嬉しかったこと。これまた超、久々に、どらえもん君と、のび太君の2代目を伴い大都会とやらへ行けた事である。仕事である。飛行機が懐かしく異国の空を思い出した。早く乗りたい一心で、第一関門のゲートをくぐった。「キンコンカン」と音がした。ゲートをくぐると、そこには仁王立ちした怖い番人が立っていた。そばにいた能面のような女性が、「ポケットの物を出して。何か金属製のものを持っていませんか」という。僕は「えええつ」と驚きの表情を見せ、ポケットに手を入れた。小銭が出てきた。「もう一度ゲートをくぐって」と女性が指図した。番人の男は、厳しい表情で僕を眺めていた。僕は素知らぬ顔で再びゲートをくぐった。静寂の時が流れた。無事通過だ。番人の男は、相変わらず僕を眺めていた。僕は愛想笑いを浮かべてその場を切り抜けた。どらえもん君が、「にやにや」と笑っている。不愉快なやつと思ったが、まああいいか。仕事の旅は始まったばかりだ。
どらえもん君は機内で、持参の握り飯を食べ始めた。僕に、「一つどうか?」と彼が言ったが、さすがに遠慮した。アシスタントパ-サーと言うんだったっけ?、キャビンアテンダントというんだったっけ?、忘れたが、昔風に言えば、スチュワーデスっさんが笑っていた。僕も笑った。さすがにどらえもん君だ。お腹から魔法の何かを出すどころか、お腹に、握り飯を放り込んでしまった。その後は、互いに眠りについた。
都会はまぶしく、行き交う人々が皆、我々と違うように感じられた。そのことが顕著に思えたのは、電車に乗ったときである。4人掛けの椅子に、僕とどらえもん君が、対角線上に座った。(のび太君2代目はこの電車に乗車しなかった。)止まる駅駅で、人が乗り降りする。混んできた。僕とどらえもん君の席は、二つ空いていた。誰も座らない。何故だ?と思った。そうそう、僕の自己紹介を忘れていた。何を隠そう。僕はジャイアン。やっと、理由が分かった。図体の大きいどらえもん君と、人相の悪そうなジャイアンが腕組みをしながら、席に座っていると誰もが恐怖を覚え、近づかないのも道理である。おかげで、僕たちはゆっくりと電車の旅を満喫できた。ただ一つの不満を除けば・・・・・。一つの不満とは乗車時間が長いことだ。田舎では車で「ツーツラツー」と走れば目的地。しかるに、都会での長時間の電車は退屈である。
不満を言っても仕方がない。おっと、もう12月1日の午前零時になろうとしている。書きたいことは山ほどあるが、これくらいで、今日は止めておこう。
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