僕たちの二日目の旅が始まった。一日目はさんざんの出来。今日がまさに本命の旅だ。おごそかにバスに乗り込んだ。いつものとおり、僕たち五人は後部座席へ。おばん諸氏は前の席へ。途中、五つ星のホテルへ泊まった二人ずれの若い女性(かなりかわいい)を迎え入れ、全員が揃った。さああーーー出発だ。

まずは、バッチャン村という当国で最大という陶器のふるさとへ向かう。バッチャン村という名前がついている。「この名前は絶対、忘れることはないなあーー」とジャイアンは思った。なんとなれば我が故郷では、じいちゃん、ばあちゃんのことを、「じっちゃん、ばっちゃん」と呼んでいたからだ。さぞかし、「ばっちゃん」の多い村なのかなーー?と、変に勘ぐってしまった。

バスの中から、昼間の風景を観察した。さすが、農業国である。なんでも、一年に三回も米を作るのだそうだ。こういうのを何と言うんだったっけ?。三毛作か?。小さな町を過ぎると田んぼが一面に広がり、また町を過ぎると田んぼだ。その田んぼでは、忍者もどきの先のとがった竹編み帽子をかぶり、もんぺ姿のような服をまとった農夫達が黙々と田の手入れをしている。聞けば、働いているのは、皆、女性ばかりとのこと。男達は町へ出稼ぎに出ているため、そういうことらしい。しかも、農業機械はほとんど、見当たらない。手作業ばかりである。

僕、ジャイアンは、この光景を眺めたとき、数十年前の日本の田園風景を思い出した。日本も昔はそうだったんだ。学生時代、アルバイトをしたからわかる。きつくつらい作業だが、愛情を込めた田畑は、作物がすくすくと育ち、たわわな収穫を約束してくれる。手作業での実りだからこそ、喜びもひとしおだ。こんな風景を眺めていると心が落ち着く。のどかで平和だった昔があざやかによみがえる。恐らく、皆もそう思っているのだろう。黙って風景を眺めている者もいれば、腕組みして、鼻提灯を膨らませている者もいる。脳裏には、あぜみちで食らった饅頭のことでも思い浮かべているのだろう。これ誰のこと?。もちろん、ドラえもん君のことである。

道すがらの風景で、もう一つ興味深いものがあった。建物である。実にカラフルで横幅は狭いが、二階建て三階建てが多々ある。恐らくチャイナや、タイやフランスの影響を受けているのだろう。僕たちは飽きることなく、風景に見とれた。この国は地震はないが、台風はたびたび、やってくるとのこと。細長い建物が多いので大丈夫かな?と思ったが、ほとんどの建物がレンガやモルタルで作られているようで、木造よりは強度ありと言うべきか?。

1時間くらいで、目的地へ到着した。広場の一角にバスは停車した。すでに、ホテルを先に立ったバスが停車していた。タイムラグはあれど、行き着くところは皆一緒か?と、思わず苦笑だ。周りを見回すと、右も左も前も後ろも陶器店ばかり。どこまで族くのかこの村は?、いや、この町はといった方が正しいか?。店もいろいろあるようで、やはり1000度以上の高温で焼いた陶器をおいている店が高級らしい。ネズミ男君が懇ろに解説してくれた。現地案内人も、それを知ってか、高級な店を紹介したようだ。

店の門をくぐった。所狭しと、大小の陶器が置いてある。皆、三々五々と好きなコーナーへ散って行った。僕は、骨董品に興味があったので、もっぱらそのコーナーを見て回った。値段表示はドルである。一人の若い女性店員さんが近寄ってきた。「何が欲しいか?」と、身振り手振り、片言英語で聞いてきた。僕は、「オーノー」といいながら見て回り、商品を手に持っと、先ほどの女性が、「これ何ドルよ、まけるわよ」という。僕が思いきって、半額以下に値切ると、「にこっ」と笑い、首を横に振る。「ねえーー、お願い」とおねだりしても、半額以下は無理のようだ。商談は不成立だ。小さな物で、荷物にならないなら買っても良いと思ったが、帯に短し、たすきに長しだ。

「持って帰れそうな物はないなあーーー」と、そのコーナーを離れようとしたとき、ふと目に入った物があった。なななんんと、それは「杖」だ。陶器製の大きな握り口があり、黒檀か紫檀で頑丈に出来ているようだ。三段階に切り離しが出来るので、荷物にはならない。何を思ったか、それが欲しくなった。40ドルの値段表示がしてあった。僕は、「お願いーーーーっ、20ドルにして」と懇願すると、先ほどの店員さんが「駄目、30ドル」という。僕はあきらめて、出ようとすると、僕の肩をポンポンとたたき、「いい、それでオッケー」と言う。商談成立だ。正直20ドルでも高いと思ったが、外国で買ったことに意義がある。1ドル札20枚で支払うと、「あなた、お金もちね」と言う。「と、とんでもない。大きな 誤解です」と言ってやりたかったが、その場は、そのまま切り上げだ。

バスに戻ると、メンバーはほとんど、買い物をしていないようだった。結構、高いと思ったのか、荷物になると思ったのだろう。バスの中で、のび太君が「さっき買ったやつを見せて」というので、袋から出して見せると、「いいんじゃないの」と、複雑な笑みを浮かべながら言う。「この買い物は失敗だったか?」と、その時思ったが、意外や意外、日本に帰ってからこの杖が大いに役立ったのだ。

後日談になるが、日本に帰って、数十日たった頃、二年前になくなったボス(仕事上の大先輩)の奥さんが、股関節の手術で入院するとのこと。僕は即、「この杖が役に立つ」とプレゼントした。だが、しかし、バット、見舞いに行ったとき、この杖が見当たらず、もっと、こじんまりした細い杖をしていた。「あの杖はどうしたのですか?」と、今更、聞くわけにも行かない。恐らく、病院の中を、突いて歩くには大きすぎたのだろう。どろころ、仙人が歩いていると間違えられてしまう。気を利かした奥方の娘が、小さい杖と取り替えて持ち帰ったのだろう。「返してください」とも言えないが、まああ一時的にせよ、役に立ったと思えば、僕の気持ちも救われるというもの。

さてさて、僕たちはバスに揺られて、もう一件の店へ立ち寄ることになる。


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