いやはや、僕も随分、日記から遠ざかっていたことよ。その理由がないといえば嘘になる。理由はあるのだ。スランプに陥ったことがその第一。追い打ちをかけるように、仕事と身辺の事情が僕から自由を奪う。明日は何もないと思い、ほっとしていると電話が鳴る。仕事やそれ以外の予約が入るのだ。
いみじくも、綾小路君麻呂さんが言っていたっけ。「私たちの仕事は呼ばれないと行けないんです」と。僕の仕事もそうかもしれない。呼ばれることは有り難いことである。ただ、悲しいかな。僕の体も不死身ではない。それ相応に疲れが出る。仕事で疲れ、その体で、身辺の事情を解決せねばならない。頭の切り替えも大変だ。疲れは僕の心を日記に向かわせない。何か書こうと思っても、考えがまとまらない。内容が稚拙に感じられる。そこで放り出してしまう。疲れは人の脳をスランプへと導く物なのか?。
だが、今日は違う。先日、見たテレビが大きなヒントを与えてくれた。何かと言えば、一旦、固定概念をすべて捨てて開き直る。要するに頭の中をまっさらにする。仕事で疲れたら、席を離れて全く違うことをする。たとえば風呂に入る。そこで、突然ひらめいて、ノーベル物理学賞を受賞された先生がいる。
「ケセラセラ」、何とかなるさ。あたって砕けろ。明日もお天道様が昇る。ただ、何事にも全力投球あるのみだ。結果は後から着いてくる。すべては御仏の導くままに・・・。こんな気持ちで日々を生きられたら幸いだ。
てなわけで、今日は久しぶりに、キーボードを叩いた。そうそう、近いうちに、スナックで焼酎をあおりながら、フォークソングを歌ってみたい。柏原芳恵さんの「春なのに」。これは既に時期遅れか?。しからば「会いたい」はどうだ?。うんんん、これも悲しい歌だ。特に会いたい人も、いないしなあーーー。あえて、会いたいと言えば「おっかさん」くらいか?。となると、得意のレパートリー、「きよしこの夜」か?。これは時期尚早。歌までが僕を見放したか。
四月、五月の初めまでは、そう考えていたが、今日の僕はそうではない。全部歌っちゃおうという心境である。人からは嘲笑の的になるやもしれぬが、お構いなし。これも開き直りの産物だろう。とりあえず、開き直り万歳で、今日を締めくくろう。
いみじくも、綾小路君麻呂さんが言っていたっけ。「私たちの仕事は呼ばれないと行けないんです」と。僕の仕事もそうかもしれない。呼ばれることは有り難いことである。ただ、悲しいかな。僕の体も不死身ではない。それ相応に疲れが出る。仕事で疲れ、その体で、身辺の事情を解決せねばならない。頭の切り替えも大変だ。疲れは僕の心を日記に向かわせない。何か書こうと思っても、考えがまとまらない。内容が稚拙に感じられる。そこで放り出してしまう。疲れは人の脳をスランプへと導く物なのか?。
だが、今日は違う。先日、見たテレビが大きなヒントを与えてくれた。何かと言えば、一旦、固定概念をすべて捨てて開き直る。要するに頭の中をまっさらにする。仕事で疲れたら、席を離れて全く違うことをする。たとえば風呂に入る。そこで、突然ひらめいて、ノーベル物理学賞を受賞された先生がいる。
「ケセラセラ」、何とかなるさ。あたって砕けろ。明日もお天道様が昇る。ただ、何事にも全力投球あるのみだ。結果は後から着いてくる。すべては御仏の導くままに・・・。こんな気持ちで日々を生きられたら幸いだ。
てなわけで、今日は久しぶりに、キーボードを叩いた。そうそう、近いうちに、スナックで焼酎をあおりながら、フォークソングを歌ってみたい。柏原芳恵さんの「春なのに」。これは既に時期遅れか?。しからば「会いたい」はどうだ?。うんんん、これも悲しい歌だ。特に会いたい人も、いないしなあーーー。あえて、会いたいと言えば「おっかさん」くらいか?。となると、得意のレパートリー、「きよしこの夜」か?。これは時期尚早。歌までが僕を見放したか。
四月、五月の初めまでは、そう考えていたが、今日の僕はそうではない。全部歌っちゃおうという心境である。人からは嘲笑の的になるやもしれぬが、お構いなし。これも開き直りの産物だろう。とりあえず、開き直り万歳で、今日を締めくくろう。
コメント
もしかしたら間違えて、手が滑って、マウスが勝手に動いて、登録してしまったんじゃないかと・・・思わずその可能性を探ってしまったくらい、驚きました。
日記の方も読ませていただきました。私もいつか、こういった清々しい記事が書けるまでに回復したいものです。
私の方も勝手に、登録させていただきましたので。よろしくお願いします。