最近、車で農道を走っていると、「貸し農園」とか「貸し畑」とか銘打った立て看板を目にする。土・日でもないのに、車で乗り付け、せっせと手入れしている人たちの姿があった。「家庭菜園ってやつかーー。なるほどねー」、猫の額ほどの畑でも、何かを作り育てあげれば、その成長過程を目で追うことも出来るし、たわわな収穫があれば、喜びもひとしおだろう。
ただ、現地が目と鼻の先にあれば、十分世話も出来るが、遠方にあれば、大変だ。日々、行くこともままならない。と言うことは、金と時間に余裕のある人達の、ささやかな趣味?・道楽?と言うことだろうか?。土。日には、孫や子供を連れて、総出で畑に赴く。「ここが、じいちゃんが作っている畑ばい」と、鼻の下をこするながら孫に説明する。「じいちゃん、えらい」と孫達が褒めたたえ、せっせと草むしりを手伝うだろう。ほほえましい光景だ。
僕は畑作業というか?、農作業というか?、とんと経験がない。もっぱら、家の周囲の雑草刈りと、雑草の焼却処分と、時折、花を植え、水かけ作業をする程度。これらは作物を育てるってものではない。雑草刈りも草焼きも、機械での作業。あたかも、ランボーになったかのごとく、機械を振り回す。したがって、近所の人たちも近づかない。危なくてしょうがないからだ。そこが僕の狙いでもある。幼稚園児たちが、不思議そうな眼で僕の姿を見ていると、母親が、子供の手を引っ張り、そそくさと去っていく。
家庭菜園では、機械を使うというわけにも行くまい。ほとんどが手作業だ。肥料をやり、水をかけ、雑草をむしる。根気のいる作業だ。手を抜くと、またたくまに荒れ地に早変わり。作物が立派に育たない。立派に育たないと足が遠のく。結局、放棄することになる。「好きこそ物の上手けれ」と言うが、やはり、土いじりが好きということが長続きの秘訣だろう。
あえて、畑作業?をしたことがあるとすれば、学生時代に親戚のおじさんから紹介された、い草(畳表の原料)刈りのアルバイトくらいだろう。い草は寒いときに植え、田植えの前に刈り取る。バイト料が良かったことと、夏休みだったので、これ幸いと引き受けた。期間は一週間程度。
右も左も分からずに、言われるまま、い草を鎌で刈り取る。家族のみならず、加勢の人たちも何名か来ていた。遅れを取ってはなるまいと、気負いすぎたのか、腰は痛いし、顔も服も泥まみれ。刈るだけならまだしも、次に、薬品を入れた大きな容器に、い草を入れ、その上に登り、足で何回となく踏むのだ。踏み終えると、ずっしりと重くなったい草を、あぜ道に干す。これが重労働なんだよなーーー。乾燥させるわけだ。今は、乾燥機があり、道に干すこともないようだが、当時は乾燥機械もなかったのだろう。
はい、今日はここまで。空を見あげると、すっかり夕焼け。僕の顔は黒焼けだ。初日にして思った事よ。「あああああーーっ、逃げ帰りたい。おっかさん」と。それじゃああ笑いものになるし、紹介してくれたおじさんも、顔が立たない。毎日、毎日、時が早く過ぎることを祈りながら、僕の作業は続いた。
そんな中、休憩時間だけが嬉しかった。ある日、冷えた真っ赤なスイカがテーブルに置かれた。むさぼるように食った事よ。最後に一個だけ、スイカの端っこが残っていた。一体、誰が食するのか?。それは僕だった。僕の手が伸びたとき、そこの、親父さんが僕に向かって言った。「えらい・・・」って。何が、えらいのか分からなかった。あとから、考えてみると、最後の一個に手を出した勇気をほめたのだろうか?。勇気と言うより、心に正直だったということだろうか?。どっちでもいいが、腹がスイカ腹になった。
まああ、そんなあんばいで、何とかバイトをやり遂げた。引き続き、田植えの手伝いの要請があったが、丁重にお断りをした。「もう、こりごりだぜ」と思ったことよ。以来、サラリーマン稼業に身を投じたので、農作業というか、畑作業とは疎遠になった。
しかるに昨今は家庭菜園と称して、素人の人たちが、畑作業にいそしんでいる。この心は?。自然とたわむれるゆとりが欲しいのだろう。子供手当も必要だろうが、「家庭菜園補助金」を出して、食物等の自給率を高めるのもおもしろいかも。
ただ、現地が目と鼻の先にあれば、十分世話も出来るが、遠方にあれば、大変だ。日々、行くこともままならない。と言うことは、金と時間に余裕のある人達の、ささやかな趣味?・道楽?と言うことだろうか?。土。日には、孫や子供を連れて、総出で畑に赴く。「ここが、じいちゃんが作っている畑ばい」と、鼻の下をこするながら孫に説明する。「じいちゃん、えらい」と孫達が褒めたたえ、せっせと草むしりを手伝うだろう。ほほえましい光景だ。
僕は畑作業というか?、農作業というか?、とんと経験がない。もっぱら、家の周囲の雑草刈りと、雑草の焼却処分と、時折、花を植え、水かけ作業をする程度。これらは作物を育てるってものではない。雑草刈りも草焼きも、機械での作業。あたかも、ランボーになったかのごとく、機械を振り回す。したがって、近所の人たちも近づかない。危なくてしょうがないからだ。そこが僕の狙いでもある。幼稚園児たちが、不思議そうな眼で僕の姿を見ていると、母親が、子供の手を引っ張り、そそくさと去っていく。
家庭菜園では、機械を使うというわけにも行くまい。ほとんどが手作業だ。肥料をやり、水をかけ、雑草をむしる。根気のいる作業だ。手を抜くと、またたくまに荒れ地に早変わり。作物が立派に育たない。立派に育たないと足が遠のく。結局、放棄することになる。「好きこそ物の上手けれ」と言うが、やはり、土いじりが好きということが長続きの秘訣だろう。
あえて、畑作業?をしたことがあるとすれば、学生時代に親戚のおじさんから紹介された、い草(畳表の原料)刈りのアルバイトくらいだろう。い草は寒いときに植え、田植えの前に刈り取る。バイト料が良かったことと、夏休みだったので、これ幸いと引き受けた。期間は一週間程度。
右も左も分からずに、言われるまま、い草を鎌で刈り取る。家族のみならず、加勢の人たちも何名か来ていた。遅れを取ってはなるまいと、気負いすぎたのか、腰は痛いし、顔も服も泥まみれ。刈るだけならまだしも、次に、薬品を入れた大きな容器に、い草を入れ、その上に登り、足で何回となく踏むのだ。踏み終えると、ずっしりと重くなったい草を、あぜ道に干す。これが重労働なんだよなーーー。乾燥させるわけだ。今は、乾燥機があり、道に干すこともないようだが、当時は乾燥機械もなかったのだろう。
はい、今日はここまで。空を見あげると、すっかり夕焼け。僕の顔は黒焼けだ。初日にして思った事よ。「あああああーーっ、逃げ帰りたい。おっかさん」と。それじゃああ笑いものになるし、紹介してくれたおじさんも、顔が立たない。毎日、毎日、時が早く過ぎることを祈りながら、僕の作業は続いた。
そんな中、休憩時間だけが嬉しかった。ある日、冷えた真っ赤なスイカがテーブルに置かれた。むさぼるように食った事よ。最後に一個だけ、スイカの端っこが残っていた。一体、誰が食するのか?。それは僕だった。僕の手が伸びたとき、そこの、親父さんが僕に向かって言った。「えらい・・・」って。何が、えらいのか分からなかった。あとから、考えてみると、最後の一個に手を出した勇気をほめたのだろうか?。勇気と言うより、心に正直だったということだろうか?。どっちでもいいが、腹がスイカ腹になった。
まああ、そんなあんばいで、何とかバイトをやり遂げた。引き続き、田植えの手伝いの要請があったが、丁重にお断りをした。「もう、こりごりだぜ」と思ったことよ。以来、サラリーマン稼業に身を投じたので、農作業というか、畑作業とは疎遠になった。
しかるに昨今は家庭菜園と称して、素人の人たちが、畑作業にいそしんでいる。この心は?。自然とたわむれるゆとりが欲しいのだろう。子供手当も必要だろうが、「家庭菜園補助金」を出して、食物等の自給率を高めるのもおもしろいかも。
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