早、二月。ここ数日寒い日が続いた。今日はようやく、お天道様が顔を出した。平地に積もった雪がすっかり溶けた。寒さは幾分か和らいだが、まだ寒だ。そんなことにお構いなく「時」だけはどんどん刻まれていく。

一体、この「時」は誰が考え出したのか?。古代文明の中にも時を刻んだ暦がある。人間が考える能力を持ったとき、その英知が「時」を生み出したに違いない。宇宙という大自然が醸し出す、様々な現象に、畏敬の念をもち、それを記録することによって、生活の防衛としたのだ。

僕は時々思うのだが、この「時」を刻むという概念がなかったら、人間の生活は、どんなに変わっていただろうかって。まさに原始生活だ。お天道様が昇って明るくなったら、食料を求めてさまよい、暗くなったら、洞穴で寝をとる。自分が何歳なのかと言う年齢の概念もない。ただ、生まれてから死ぬまで、自然と共にひたすら生きる。

こういう生活にあこがれもする。しかし、これは「時」という概念に、すっぽり埋もれてしまった現代人の考えることだ。我々は、いままさに、「時」に支配されている。「時」を支配することは出来ない。だからこそ、「時」からの解放に思いを馳せるのだろう。

最近、光よりも早い粒子が存在すれば、時間が止まるというような記事を読んだような気がする。時間が止まる?。一体どういうことなのかよく分からない。時間が止まれば僕は永遠に紅顔の美青年なのか?。そんなことはあり得ないだろう。「すっかり老けたあなたの顔が見えまあーーす」というのが真実の姿だ。そう言えば、歌謡曲の詩のなかにも、時を歌ったものがあったっけ。「時間よ止まれーー」。「時の流れに身を任せーーーー」。人間の偽わざる願望だ。いやはや、「時」とはやっかいなものだ。

「時」という束縛から、逃れて生きるにはどうすればよいのか?。答えは簡単だ。「考えないこと」である。「考えないこと」とは、ポカーンとして生きることではない。余計なことを考えない。要するに、歌にもあるように、流れに身を任せて生きることだ。

今日は何日だったっけ?。デートの約束は何時だったかなあーー?。クライアントとの約束は?。いちいち考えていてはきりがない。流れに身を任せて、淡々とこなしていく。それが、「時」を超越することになるのだろう。
「言うは易く、行うは難し」。ただ、「時」に追っかけられる生き方だけはしたくないものだ。

そう言えば、最近、有人月旅行が計画され、既に申し込みがあっているそうな。100億円はくだらない費用がかかる。人間の飽くなき欲望は宇宙旅行を実現しようとしている。すばらしいことだ。宇宙に行ったとき、「時間」はどう流れるのだろうか?。地球時間が通用するのか?。「わかんなーーーーい」である。宇宙旅行から帰ったとき、知り合いが誰もいなかったりして。
「ここはどこ?。あなたは誰?」かの世界かも知れない。

考えればきりがない。考えることは止めよう。ところで、今、何時だったっけ?。おっと、時間を気にすることはない。腹が減ったら昼飯を食おう。それで良いではないか。





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