五月の声を聞いた。ちまたはゴールデンウィークとやらで、賑わっている由。こちとらは、それをよそ目に労働にいそしんでいる。「ああああつ、はかない人生よ」と言いたいところだが、そうも言っておれない。クライアントの要請があれば、それに応えなくてはならないからだ。クライアントが満足すれば、それは則、僕の喜びである。それが僕の人生なのだ。

最近ネットでおもしろい記事を読んだ。臨終間際の人が後悔する五つのこととして、
   1.誰かが期待する人生ではなく、自分に正直な人生を送っていれば    よかった。
   2.あんなに働かなければよかった。
   3.勇気を出して自分の気持ちを表に出せばよかった。
   4.友達ときちんと連絡を取り続けていればよかった。
   5.もっと自分の幸せを考えればよかった。

とある。いやああ、考えさせられることばかりだ。上記の後悔の裏返し、いわゆる後悔からの脱出方法として、
   1.夢をあきらめないこと
   2.働き過ぎないこと
   3.思っていることを口に出すこと
   4.友達を大事にすること
   5.幸せでいること 

とある。ところで僕はどうなのか?。夢をあきらめないこと・・・・。うんんん、夢は、とっくに捨て去ったか。かなわない夢ならある。宇宙という生命体に抱かれて、永遠に生きることだ。宇宙という生命体が美女ならば「いいこね、いいこね」と頭をなでてもらいたい。 

働き過ぎないこと・・・。これは当たっているようだ。労働にはいそしんでいるが、決して働き過ぎてはいない。そこそこの労働で対価を得て、おまんまを食べる。適当に酒を喰らい、ネオン街を闊歩する。働き過ぎては、そういうことも出来まい。

思っていることを口に出すこと・・・・。これも当たっている。あまり、はつきり言い過ぎて、人から怪訝な顔をされることがある。「口は災いの元」というが、「物言わぬは腹ふくるることなり」とも言う。要は、思っていることは言うべきだが、人を傷つけないように言葉を選ぶべきということか?。言葉を選ぶという点では随分、失敗もしてきた。

友達を大事にすること・・・。友達と言うべきかどうか分からない人もいるが、結構、人付き合いは良いほうだ。真の友はやはり学生時代に培った人間関係の中に多い。同じ釜の飯を食うと言うことが、絆を深めるのだろう。進む道は違っても、助けたり、助けられたりだ。利害がなく気が置ける。

幸せでいること・・・・。うんんん、僕自身は幸せだと思っているが、周りの人達のことは分からない。幸せの価値観も違うだろうし、人それぞれの気持ちだからだ。

さてさて、僕が臨終間際に発する言葉は何だろうか?。後悔の言葉を発するんだろうか?。今は想像だに出来ない。「無言のまま」なのか?。「オーマイゴッド」なのか?・「逝きたくない・・・」なのか?。「ありがとう」なのか?。その時にならないと分からないぜ。少なくとも、後悔の言葉だけは発したくないなあーーー。

いつぞや、小料理屋「梓」で、友人達と歓談しているとき、「辞世の句」が話題になった。その時、僕が冗談で言った言葉は、ちょっと卑猥な言葉になるが、「もっとしたかった」である。梓のママが「ぽーっつ」と顔を、赤らめ、「まあーつ、なんてことを」と言い、皆が爆笑だ。意味が理解できる人は、何を言わんとしているかは分かるだろう。

この辺で止めておこう。


コメント

桜もち
桜もち
2012年5月6日11:56

こんにちわ。
ホスピス医の大津秀一さんの著書「死ぬときに後悔すること25」のなかで、
後悔のない人生に必要なものは何か・・で
自分の目で見て、自分で考え、自分で判断する事だそうです。

病気の治療も納得するかで結末もちがうそうです。
後悔のない人生はないけれど、後悔は少ないほうがいい。と、結んでいます。

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