六月四日。曇り。蒸し暑い。今にも雨が降りそうだが、なかなか降らない。近県で地震があったようだ。強くはなかったようで、こちらでは体に感じなかった。最近では地震も日常茶飯事の出来事。「またかあーーー」と思うが、実はこの慣れが怖い。備えあれば憂いなしで、日ごろの対策が肝心だ。
ところで、今日はごろ合わせで虫歯デー。虫歯かあーー。歯には自信があったが、それは昔のこと。今は、仮歯があり、本歯へ切り替えしなくてはならないが、結構、調子がよいため日延べ状態だ。歯科医院をはじめ、病院と名のつくところは大の苦手。病院へ行くより、願わくば、「山頭火」みたいに全国を行脚して、行き倒れたほうがましかな?と思ったりする。
ごろ合わせで思い出したが、七月十日が「納豆の日」。納得だ。納豆はうまい。八月八日は「母の日、もしくはパパの日」。母の日はすでに終わったので、パパの日だ。パパねえーーー。今ではスナックや小料理屋のお姉さまたちが、「あらっ、パパさん。いらっしゃい」と、冷やかし冗談で呼んでくれるだけ。あああああーーつ、はかない人生だぜ。と、思いつつも、本当は喜んでいるんだが・・・。まあ、これも、親しみと信用のあらわれだろう。ごろ合わせの日はいくつもある。枚挙にいとまがない。やめておこう。
今日は嬉しいことが一つあった。ねずみ男君(友人)に電話したら、電話に出ない。ゲートボールで忙しいんだろうと思っていたら、先ほど電話があった。な、な、なんと、仕事にお呼びがかかったそうだ。何か月振りになるか?。いつも、「仕事がない、仕事がない」と悔やんでいたが、めでたしめでたしだ。
電話口の彼の声は弾んでいた。それもそうだろう。工事現場の作業で日給いくらもらうのか知らないが、持て余した体を存分に発揮できる。現場は当市内のはずれにあるそうだ。ただ一つ我慢すべきこと。それは若い兄ちゃんや現場監督に、「あれ持ってこい。これ運べ。バカ、うすのろ。それは違うだろ」とかなんとか、命令されたり、大声で怒鳴られるても、じっと我慢の子でいることだ。
酒を飲みながら、「ほんに、はがいかばい」と彼は言う。「まあ、そこはじっと我慢せんばあー」と僕はなだめる。貯金を取り崩さず、日々のおまんまに預かれることは幸せなことだ。仕事にきれいも汚いもない。ただひたすら、やるのみだ。とはいえ、体には十分注意すべきだ。その辺は彼も十分わかっているようだ。
ちなみに、六月七日の夜には、のび太君(友人)、スネ夫君(友人)シズカちゃん(友人)、それにジャイアン(僕)、かくして、ねずみ男君(友人)が参加して、どうなるかわからない旅行の打ち合わせがある。ねずみ男君のはしゃぐ姿が見えるようだ。一言、言ってみようと思う。「今宵は、あんたのおごりでいいんだろ?」。恐らく彼は言うだろう。「やめてよおー。まだ仕事にありついたばかりだぜ。いつ、首になるかわかんなーーーい」とかなんとか。
まあ、こんな小さな幸せや喜びを感じながら、僕たち、とっちゃん坊や達は索漠とした娑婆世界を生きているわけだ。
ところで、今日はごろ合わせで虫歯デー。虫歯かあーー。歯には自信があったが、それは昔のこと。今は、仮歯があり、本歯へ切り替えしなくてはならないが、結構、調子がよいため日延べ状態だ。歯科医院をはじめ、病院と名のつくところは大の苦手。病院へ行くより、願わくば、「山頭火」みたいに全国を行脚して、行き倒れたほうがましかな?と思ったりする。
ごろ合わせで思い出したが、七月十日が「納豆の日」。納得だ。納豆はうまい。八月八日は「母の日、もしくはパパの日」。母の日はすでに終わったので、パパの日だ。パパねえーーー。今ではスナックや小料理屋のお姉さまたちが、「あらっ、パパさん。いらっしゃい」と、冷やかし冗談で呼んでくれるだけ。あああああーーつ、はかない人生だぜ。と、思いつつも、本当は喜んでいるんだが・・・。まあ、これも、親しみと信用のあらわれだろう。ごろ合わせの日はいくつもある。枚挙にいとまがない。やめておこう。
今日は嬉しいことが一つあった。ねずみ男君(友人)に電話したら、電話に出ない。ゲートボールで忙しいんだろうと思っていたら、先ほど電話があった。な、な、なんと、仕事にお呼びがかかったそうだ。何か月振りになるか?。いつも、「仕事がない、仕事がない」と悔やんでいたが、めでたしめでたしだ。
電話口の彼の声は弾んでいた。それもそうだろう。工事現場の作業で日給いくらもらうのか知らないが、持て余した体を存分に発揮できる。現場は当市内のはずれにあるそうだ。ただ一つ我慢すべきこと。それは若い兄ちゃんや現場監督に、「あれ持ってこい。これ運べ。バカ、うすのろ。それは違うだろ」とかなんとか、命令されたり、大声で怒鳴られるても、じっと我慢の子でいることだ。
酒を飲みながら、「ほんに、はがいかばい」と彼は言う。「まあ、そこはじっと我慢せんばあー」と僕はなだめる。貯金を取り崩さず、日々のおまんまに預かれることは幸せなことだ。仕事にきれいも汚いもない。ただひたすら、やるのみだ。とはいえ、体には十分注意すべきだ。その辺は彼も十分わかっているようだ。
ちなみに、六月七日の夜には、のび太君(友人)、スネ夫君(友人)シズカちゃん(友人)、それにジャイアン(僕)、かくして、ねずみ男君(友人)が参加して、どうなるかわからない旅行の打ち合わせがある。ねずみ男君のはしゃぐ姿が見えるようだ。一言、言ってみようと思う。「今宵は、あんたのおごりでいいんだろ?」。恐らく彼は言うだろう。「やめてよおー。まだ仕事にありついたばかりだぜ。いつ、首になるかわかんなーーーい」とかなんとか。
まあ、こんな小さな幸せや喜びを感じながら、僕たち、とっちゃん坊や達は索漠とした娑婆世界を生きているわけだ。
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