先日は、泡盛で酩酊だ。帰ってきたのは午前1時過ぎ。ねずみ男君と、どこで別れたのか覚えていない。無事に帰ったは良かったが、その後がいけなかったらしい。なんでも、大声で歌い出したり、訳の分からないことを叫んでいたそうだ。近所に家がなくて幸いだ。気分が緩むと、おむつまで童心にもどってしまうから厄介だ。深ーーーく、深ーーーく、反省している今日このごろ。
話は変わるが、最近、87才の老婦人の所を訪れた。今は未亡人の一人暮らしだ。近くに娘さんがいて、時々、面倒を見ているようだ。数年前までは愛犬を連れて、散歩している姿をよく見かけたが、今は愛犬も亡くなり、自分前のことがなんとか出来るぐらいの状況らしい。
僕は用件を済ませて帰ろうとすると、突然、話したいことがあるという。「いいですよ」と話を聞くことにした。開口一番、「あなたは幽霊を信じますか?」ときた。僕はあっけにとられて、話を聞いてみると、「いつも、家に誰かいるような気配がする。それは私の主人で、愛人と一緒にこの家にいる」と言うのだ。また、「食事は、ここでは食べなくて、二人でどこかへ食べに行き、夜遅く帰ってくる。扉や窓は怖いから全部閉めているが、幽霊はどこからでも入ってこれるんですね」と。
僕は笑いながら、「へえーーー、どうして分かるんですか?」と尋ねると、「いる気配がするのよ。どこか変なのよ。他の人に話すと、皆、私の方が変だと言うのよ。私は変なのかしら?」と真剣なまなざしで、僕の顔をのぞき込む。
幽霊ーーーー。残念ながら僕は遭遇したことがないから返答に窮した。そもそも、生命体は死ぬと、個体としての入れ物は消滅するが、魂というものが存在するならば、幽霊がいても不思議ではない。要は魂の存在を認知できるかどうかだ。人間の脳はその半分も使われていないという。もし、使われていない脳の一部がスイッチオンになったら、魂を認知出来るかも知れない。
老婦人にそのことを話しても、ちんぷんかんぷんだろう。そこで、僕は更に聞いてみた。「その幽霊は悪さするんですか?」と。「悪さはしないが毎日帰ってくるのよ。怖いわ」と言う。「悪さしないなら、そっと見守って上げたらどうですか」と言って、その場を切り上げた。老婦人はきっと、寂しいのだろう。亭主との過去の思い出が走馬燈のように蘇り、幽霊という目に見えない気配が心を占拠するようになったのだろう。
ただ、僕は科学至上主義ではないが、霊魂の存在には否定的である。生命体は死に至れば、原子に分解され宇宙空間に散らばる。原子は果たして、心とも言うべき魂を持っているだろうか?。もし魂が存在するならば、宇宙空間は魂で満々しているはずだ。
大昔から、生命体は自然の脅威におののいてきた。雷、地震、津波、火山の爆発etc,.恐らく、人間の脳には恐怖という概念が。すっかりすり込まれているのだろう。オカルト映画等を見ると、恐怖でおののく。幽霊もそのたぐいだとも言える。
科学が少しずつ、恐怖という概念を取り払ってきた。それでも、「怖い」という気持ちは消えない。だが、よく考えて見ると恐怖という概念は脳が生み出した創造物なのかもしれない。従って非現実的な事が多い。「死んだ人間より生きている人間の方が怖い」と聞くが、このほうがよっぽど現実的だ。
もちろん、今の科学でも説明できない現象は多い。要は人間の脳が、物事に対してどうとらえるかだ。魂や幽霊の存在を信じるも良し、否定するも良し。それぞれの人生において、生きやすい生き方を選択すれば済むこと。
投げやりな考えになってしまったが、実は僕も、夜、トイレに入るとき、なにか物音がすると、「ぞぞ^---つ」と、背中が寒くなる。本来は弱虫の憶病者である。
話は変わるが、最近、87才の老婦人の所を訪れた。今は未亡人の一人暮らしだ。近くに娘さんがいて、時々、面倒を見ているようだ。数年前までは愛犬を連れて、散歩している姿をよく見かけたが、今は愛犬も亡くなり、自分前のことがなんとか出来るぐらいの状況らしい。
僕は用件を済ませて帰ろうとすると、突然、話したいことがあるという。「いいですよ」と話を聞くことにした。開口一番、「あなたは幽霊を信じますか?」ときた。僕はあっけにとられて、話を聞いてみると、「いつも、家に誰かいるような気配がする。それは私の主人で、愛人と一緒にこの家にいる」と言うのだ。また、「食事は、ここでは食べなくて、二人でどこかへ食べに行き、夜遅く帰ってくる。扉や窓は怖いから全部閉めているが、幽霊はどこからでも入ってこれるんですね」と。
僕は笑いながら、「へえーーー、どうして分かるんですか?」と尋ねると、「いる気配がするのよ。どこか変なのよ。他の人に話すと、皆、私の方が変だと言うのよ。私は変なのかしら?」と真剣なまなざしで、僕の顔をのぞき込む。
幽霊ーーーー。残念ながら僕は遭遇したことがないから返答に窮した。そもそも、生命体は死ぬと、個体としての入れ物は消滅するが、魂というものが存在するならば、幽霊がいても不思議ではない。要は魂の存在を認知できるかどうかだ。人間の脳はその半分も使われていないという。もし、使われていない脳の一部がスイッチオンになったら、魂を認知出来るかも知れない。
老婦人にそのことを話しても、ちんぷんかんぷんだろう。そこで、僕は更に聞いてみた。「その幽霊は悪さするんですか?」と。「悪さはしないが毎日帰ってくるのよ。怖いわ」と言う。「悪さしないなら、そっと見守って上げたらどうですか」と言って、その場を切り上げた。老婦人はきっと、寂しいのだろう。亭主との過去の思い出が走馬燈のように蘇り、幽霊という目に見えない気配が心を占拠するようになったのだろう。
ただ、僕は科学至上主義ではないが、霊魂の存在には否定的である。生命体は死に至れば、原子に分解され宇宙空間に散らばる。原子は果たして、心とも言うべき魂を持っているだろうか?。もし魂が存在するならば、宇宙空間は魂で満々しているはずだ。
大昔から、生命体は自然の脅威におののいてきた。雷、地震、津波、火山の爆発etc,.恐らく、人間の脳には恐怖という概念が。すっかりすり込まれているのだろう。オカルト映画等を見ると、恐怖でおののく。幽霊もそのたぐいだとも言える。
科学が少しずつ、恐怖という概念を取り払ってきた。それでも、「怖い」という気持ちは消えない。だが、よく考えて見ると恐怖という概念は脳が生み出した創造物なのかもしれない。従って非現実的な事が多い。「死んだ人間より生きている人間の方が怖い」と聞くが、このほうがよっぽど現実的だ。
もちろん、今の科学でも説明できない現象は多い。要は人間の脳が、物事に対してどうとらえるかだ。魂や幽霊の存在を信じるも良し、否定するも良し。それぞれの人生において、生きやすい生き方を選択すれば済むこと。
投げやりな考えになってしまったが、実は僕も、夜、トイレに入るとき、なにか物音がすると、「ぞぞ^---つ」と、背中が寒くなる。本来は弱虫の憶病者である。
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