我々を乗せた車は屋根のないアーケード風入り口付近に停車した。ここで、自由散策の時間となった。両端には商店が建ち並び、色彩豊かな商品を所狭しと並べている。又、通路の真ん中には屋台が延々と続いていた。人、人でごった返している。とっちゃん坊や達は、迷子になってはいけないと、互いに寄り添いながら、目を「ぱちくり、ぱちくり」と左右に動かしながら商品群を眺めて歩いた。
屋台で売られている商品は、何処へ行っても似たり寄ったりだ。ただ、これだけ大勢の人たちが集まるには理由がある。値が安いのだ。もち、まがい品が多いと思うが、そんなことはどうでも良い。自分が気に入るか、気に入らないかの問題である。
旅で、ジャイアンがいつも求める物。それは皆がよく腕にはめている腕輪だ。高級な物は、ブレスレットというのかどうか知らないが、要するに伸び縮みするゴムみたいな物を通した腕輪である。いつぞや、旅をしたとき、アメジスト風の腕輪を買った。専門店だから間違いは無いだろうと三万円近くを払った。紫色の光沢が実にきれいで深みがある。また、アメジストは悪酔いを防ぎ解毒作用があるという。酒飲みにはもってこいだぜ。僕は則、装着。
その日、今回と同じように屋台を散策した。アメジスト風の紫の腕輪が、な・なんと、千円で売られていた。ねずみ男君が「あんたが、さっき買った物より、上等だぜ」という。そ・そ・そんな馬鹿なあ・・・・。僕は千円で購入し比較してみた。「なに、言ってんの。光沢が違うぜ、光沢がーー。誰の目にも一目瞭然だぜ」とジャイアンは反論。不愉快だあーーーーーーー。結局、千円の奴を、ねずみ男君へプレゼントだ。最近は二人して、同じような腕輪をはめて、スナックの門をくぐることがある。「あら、お二人は兄弟?。おそろいの腕輪で・・」とママから冷やかされる。僕たちは則、腕輪を外して、ママに鑑定を依頼するが、結論は「わかんなあーーーい」である。ジャイアンとしては不愉快きわまりない。
まああ、それは良いとして、屋台を散策していると、僕の目にとまった物があった。もちろん、腕輪である。直径1センチメートルはあるかと思える、紫、緑、橙色をした大粒の腕輪。手に持ってみた。ずっしりと重い。「おにいさんこれなんぼ?」と聞くと、な、な、なんと、五万円はするかと思ったその腕輪が650円。ジャイアンの触手がすぐ動いた。ちなみに、小粒の奴は300円。これには驚いた。指をくわえ物欲しそうに、この様子を眺めていた、ねずみ男君へ、300円の奴をプレゼントした。「日本へ帰ったら三千円はしたと言っとけば良いよ」と言うと、彼は「にんまり」と笑った。帰り際、屋台のお兄ちゃんが、「ありがとう」と日本語で言ってくれた。この言葉は嬉しかった。
のび太君と、スネ夫君に、この腕輪を見せると、言うことが、しゃくに障る。「あんた、これガラスじゃあーないの?。すぐ割れるぜ」とかなんとか。
まああ、いいか。ところで、のび太君の買い物と言えば、これまた娘思いだぜ。娘が麻雀に興味を持っているらしく、麻雀パイを買って帰るというのだ。それらしき店に入ると、あった。あった。これまた驚いたが、一式、千八百円。「えええつ、うそーーーつ、本当ーーー」と、手で触ってみると、れっきとした麻雀パイだ。彼が則、札を切ったことは言うまでも無い。重い買い物、ご苦労さんだ。他の仲間達は財布の紐が緩む気配がない。まあ、それも正解かも知れない。
日本に帰り、その腕輪をしていると、「大きいわねえー。高かったでしょ」と良く聞かれる。そんな時、僕、ジャイアンは「五万円だったよ」と。ねずみ男君は「三千円だった」と答えている由。先ほども書いたが、要は、値段なんてどうでも良いわけだ。気に入るか入らないかの問題である。
問題と言えば、のび太君が買った麻雀パイには点棒がついていなかった。紳士、のび太君が、珍しく悩んでいたが、「日本で買えばいいじゃん」と言うことで、一件落着。屋台での買い物は、危険もあるかも知れないが、楽しさもまたひとしおだ。生きとし生けるもの達が、皆、精一杯の姿で生きている。それが尊いのだ。僕たちは散策を終え、ホテルへ戻ることになった。
屋台で売られている商品は、何処へ行っても似たり寄ったりだ。ただ、これだけ大勢の人たちが集まるには理由がある。値が安いのだ。もち、まがい品が多いと思うが、そんなことはどうでも良い。自分が気に入るか、気に入らないかの問題である。
旅で、ジャイアンがいつも求める物。それは皆がよく腕にはめている腕輪だ。高級な物は、ブレスレットというのかどうか知らないが、要するに伸び縮みするゴムみたいな物を通した腕輪である。いつぞや、旅をしたとき、アメジスト風の腕輪を買った。専門店だから間違いは無いだろうと三万円近くを払った。紫色の光沢が実にきれいで深みがある。また、アメジストは悪酔いを防ぎ解毒作用があるという。酒飲みにはもってこいだぜ。僕は則、装着。
その日、今回と同じように屋台を散策した。アメジスト風の紫の腕輪が、な・なんと、千円で売られていた。ねずみ男君が「あんたが、さっき買った物より、上等だぜ」という。そ・そ・そんな馬鹿なあ・・・・。僕は千円で購入し比較してみた。「なに、言ってんの。光沢が違うぜ、光沢がーー。誰の目にも一目瞭然だぜ」とジャイアンは反論。不愉快だあーーーーーーー。結局、千円の奴を、ねずみ男君へプレゼントだ。最近は二人して、同じような腕輪をはめて、スナックの門をくぐることがある。「あら、お二人は兄弟?。おそろいの腕輪で・・」とママから冷やかされる。僕たちは則、腕輪を外して、ママに鑑定を依頼するが、結論は「わかんなあーーーい」である。ジャイアンとしては不愉快きわまりない。
まああ、それは良いとして、屋台を散策していると、僕の目にとまった物があった。もちろん、腕輪である。直径1センチメートルはあるかと思える、紫、緑、橙色をした大粒の腕輪。手に持ってみた。ずっしりと重い。「おにいさんこれなんぼ?」と聞くと、な、な、なんと、五万円はするかと思ったその腕輪が650円。ジャイアンの触手がすぐ動いた。ちなみに、小粒の奴は300円。これには驚いた。指をくわえ物欲しそうに、この様子を眺めていた、ねずみ男君へ、300円の奴をプレゼントした。「日本へ帰ったら三千円はしたと言っとけば良いよ」と言うと、彼は「にんまり」と笑った。帰り際、屋台のお兄ちゃんが、「ありがとう」と日本語で言ってくれた。この言葉は嬉しかった。
のび太君と、スネ夫君に、この腕輪を見せると、言うことが、しゃくに障る。「あんた、これガラスじゃあーないの?。すぐ割れるぜ」とかなんとか。
まああ、いいか。ところで、のび太君の買い物と言えば、これまた娘思いだぜ。娘が麻雀に興味を持っているらしく、麻雀パイを買って帰るというのだ。それらしき店に入ると、あった。あった。これまた驚いたが、一式、千八百円。「えええつ、うそーーーつ、本当ーーー」と、手で触ってみると、れっきとした麻雀パイだ。彼が則、札を切ったことは言うまでも無い。重い買い物、ご苦労さんだ。他の仲間達は財布の紐が緩む気配がない。まあ、それも正解かも知れない。
日本に帰り、その腕輪をしていると、「大きいわねえー。高かったでしょ」と良く聞かれる。そんな時、僕、ジャイアンは「五万円だったよ」と。ねずみ男君は「三千円だった」と答えている由。先ほども書いたが、要は、値段なんてどうでも良いわけだ。気に入るか入らないかの問題である。
問題と言えば、のび太君が買った麻雀パイには点棒がついていなかった。紳士、のび太君が、珍しく悩んでいたが、「日本で買えばいいじゃん」と言うことで、一件落着。屋台での買い物は、危険もあるかも知れないが、楽しさもまたひとしおだ。生きとし生けるもの達が、皆、精一杯の姿で生きている。それが尊いのだ。僕たちは散策を終え、ホテルへ戻ることになった。
コメント
旅日記を読ませていただいて私も旅行した気分です。
お陰様でだいぶ落ち着いてきました。
10月から私も友人達と旅に行きます。
気分転換になりきっと元気を取り戻せる気がします。