新館ホテルロビーに、メンバーたちが集まってきた。顔が見えないのは、スネ夫君と一休さん。毎度のことだ。放っておいて良いが、ちと心配である。丸一日が経つと、ほかのメンバー達とも気軽に話すようになった。

昔、この地に住んでいたという老夫婦。懐かしさを求めての旅だろう。母と娘の二人。娘は歯医者になると、昨今、猛勉強中とのこと。母はそんな娘と思い出作りの旅を計画したのだろう。泣けるぜえ・・。若い男女一組。どうも夫婦ではなさそうだ。会話がぎこちない。おそらく、婚前旅行としゃれこんだに違いない。「親の了解は得てきたの?」と言いたいところだが、はなもち関与せず。うらやましいぜ。もう一人は初老の男性。なんでも、妻を亡くし今は一人暮らし。旅行が楽しみで、あちこち出かけているそうだ。それも良いだろう。旅が取り持つ縁で、新たな人生が開けるやもしれぬ。頑張ってちょ。能天気で、おっちょこちょいの風来坊は僕たち、とっちゃん坊や、5人衆だ。

バスへ乗り込む時間が迫ってきた。案の定まだ、スネ夫君と一休さんの姿が見えない。「長靴をはき忘れたか?。首に巻くタオルが見つからないのか?。」と、気をもんでいると、定刻に姿を現わした。ぎりぎりセーフだ。やれやれだぜ。

さてと、旅二日目は当地を離れて隣の都市へ行くようだ。車で、ほぼ2時間の行程。ちょっとした遠足って気分だ。車は都会の雑踏を抜けて、田舎っぽい道を走った。道路の左右には大きなビルディングはもうない。日本の風景とよく似ている。それでも、のび太君は愛用のカメラで、窓越しに風景を撮影していた。さすが、セミプロだ。ねずみ男君と僕、ジャイアンは朝飯を食い過ぎたか?、鼻提灯をふくらませてお寝んねの時間。一休さんは、一人掛けの椅子で、その横の二人掛けの椅子に座った母娘となにやら話しているようだ。話好きの変わり者だ。一番後部座席の、だだっ広いところに、首にタオルをかけたスネ夫君が、快適といわんばかりに大股広げて陣取っていた。

車は目的の都市に入り、山道を登っていく。どこへ行くのか?。一応、わかってはいるが、あまり気乗りしない場所だ。なんとなれば、我々は、観光化された戦争の跡地を見学に行くわけだ。山の斜面をくりぬいて、壁を施した長いトンネル。壁には無数の銃弾の跡が。石碑も建っていた。ここで、幾万人の人たちが亡くなったのだろう。また、50‐60段はあろうかと思える石の階段を登ると頂上には赤さびた大砲が据えてあった。僕たちは「はあーーはあーー」と息を弾ませながら、大砲の横で記念撮影だ。一休さんは大砲の銃身にまたがり、天を仰いでいた。何をか思わん。この大砲は、何人の人たちを吹き飛ばしたのだろう。考えると「ぞーーーつ」とする。

観光地と化した戦争の爪跡を見て皆は、何を思っただろうか?。戦争を知らない子供たちは、「ひゃーーー、すごいなあーー」と、驚嘆の声を上げるだけかもしれない。我々、とっちゃん坊や達も同類だ。ただ、こういう戦争の爪跡を解放しているのは、「二度と悲惨な戦争を起こしてはいけない」という警鐘の意味があるのだ。そのことを感じ取ってもらえば、この見学も大いに意義があると言える。

あちこち見学して、数時間が過ぎた。もう結構と思っていた頃、当地での昼飯の時間となった。石段も登り、足はくたくた。おまけに腹はすいてきた。グッドタイミングだ。例によって丸テーブルに12人腰かけ、当地の自慢メニューで腹ごしらえだ。おっと、その前に、ビールを注文。今回は、初老の男性や母娘、恋人もどき二人ずれもグラスを満たした。戦争の爪跡を見たからにゃ、飲まずにはおられないぜ。皆、一気に飲み干した。料理の名前は忘れたが、おいしかった。

午後からは、日本のさる県が姉妹都市ということで、建造された、つり橋を渡った。つり橋の横壁には無数のらくがきが。ハートのマーク有り、矢が刺さっていた。英語で書かれた文句もあった。判読できず。これらの落書きは、平和の象徴だ。眼下には海が広がり、おだやかな様を呈していた。この海は、どこまでもどこまでも続いている。世界、皆の共有なのだ。しからば、戦争なんて愚の骨頂。皆で仲良く暮らせれば良い。ふと、そんなことを考えた。

腹も満腹となり、これから、土産品店等に寄りながら、再び、根拠地まで戻ることになる。





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