旅、最後の夕食タイムとなった。2階へあがり、丸テーブルが置かれた一室へ案内された。いつものパターンである。一つ違うところはメンバーが8人と、人数がすくなくなったことか。我々5名と、初老の男性、母娘、8人がテーブルに腰かけ、料理の到来を待った。老夫婦は疲れ気味、また、恋人もどき若いカップルは、二人で、どこかえ、しけ込んだに違いない。
そうそう、勘違いしていたが、ヒラメの刺身を食ったのはこの時だったかもしれない。日にちが経つと、僕、ジャイアンの記憶も定かでなくなる。まあ、とにかく、ヒラメはおいしかった。ほかにも、今まで味わった料理とは、かなり違うメニュー。それもそうだ。3千円のコースだから、当然といえば当然か。とっちゃん坊や達は、例によって例のごとし。ビールを飲み、当地の酒を飲み、ほかのメンバー達ともグラスを傾けあった。
いよいよ明日は帰省の途に就く。皆、感慨深げに料理をついばんでいた。見ず知らずの人と触れ合うのも多少の縁。とはいえ、恐らく、再会する可能性は少ないだろう。人生とはそういうものだ。ちょっと、湿っぽくなったが、楽しい団欒のひと時であった。
そうそう、書き忘れていたことがある。他にも、旧ロシア人街や日本人街を見て回った。戦争の名残の跡を見て回るのは、気分的に良しとしないが、コースとなっているから仕方がない。ロシア人街で目に付くのは当時の建築がそのまま残っていることだ。通りに沿って売られている商品は現地の商品ばかり。これにはがっかりだ。日本人街も古ぼけた木造建物が残っているだけ。ちょっくら侘しい感じがした。
日本人街に面して、公園があった。銀杏の木があった。その先に橋があり、小さな湖が。そこで、母娘の娘のほうとツーショットで写真撮影。彼女はにっこり笑って応じてくれた。これも記念だ。のび太君、ねずみ男君も一緒に、パチリとやったことは言うまでもない。もう十分ということで、早々にそこを立ち去った次第である。
食事を終えてホテルへ戻った。明日の集合時間等の説明があり、めいめい、部屋へ引き上げた。さすがに今宵はマッサージを所望する人はいなかった。ジャイアンはよかったのだが、あとの二人には、あの山男の恐怖の手が記憶から拭い去られていないようだ。また、気分的に、そんな余裕もなかったのも事実。部屋では荷物の整理をして、その後、残っていたアルコール類を皆で飲んだ。
最後の夜となり、のび太君が、ねずみ男君へ、「今宵はベッドを変わろうか?」と提案。三日間も、あつらえ式、金具飛び出しのベッドでは、ねずみ男君に悪いと思ったのだろう。優しいぜ。紳士のび太君。返ってきた返事がいい。「おいどんは、ここでいい。ジャイアンの隣では、睡眠不足になる」と言って、丁寧に断った次第である。「失礼だぜ。ねずみ君。こっちこそ願ったりだ」と言ってやった。
いつのまにか夜が明けた。めいめいが洗面を済ませ、最後の朝食をとった。スネ夫君と一休さんは、姿が見えない。特に心配することもないが・・・。定刻どおり、12名がホールに集まった。挨拶を交わしたが、皆、すでに現実の顔に戻っていた。明日からは、厳しい娑婆世界が待っている。不安と期待が交錯し、頭の中は、当地を走る車のごとく混乱していた。バスで20分ほどで空港へ着く。いざ、帰らん日本へ。
コメント