今日は素晴らしい秋晴れ。やや肌寒い。山小屋での畑作業にはもってこいだ。そう言いながら、「うち震えているあなたの姿が見えまーーーす」と誰かが言っているようだ。
まだ、暖房を入れる必要もない。まずは我慢、我慢だ。電気代も馬鹿にならないからなあーー。いずれ、電気代が値上げになるという。負担増だけが目につく今日この頃。「ブルータス、大前もか?」と言いたくなる。
てなわけで、つい先日、書斎と居間の電球をLEDに取り換えた。結構値段が高い。寿命が長いうえ電気代の節約になるというのがうたい文句だ。いくら寿命が長いとは言え、僕の寿命より耐久年数が長かったら不愉快だ。幾らの節約になったのか知る由もないからだ。
話題を変えよう。午後から外回りの出勤だ。まだ二時間近くある。日記をしたためるにはちょうど良い。最近、気になっていることを書いておこう。「あなたが怖いものを5つあげなさい」と言われたとする。定番の答えは、「地震、雷、火事、親父、?」といったところだが、僕の答えはこうだ。最初の3つは同じ。4番目の親父は、もういないから、その代わりに人間とあげておこう。5番目はトンネルだ。
昨日は、都市圏でトンネルの落盤事故があった。10名近くの人が亡くなったよし。痛ましいことである。ただ、ただ、お悔やみを言いたい。昔、北海道でもトンネルの事故があり、九死に一生を経験した人がいた。トンネルの怖さ。そりゃーー、山を打ち抜いて、穴を掘り、道とするからには高度な技術がいる。建築工学を駆使して築造したとしても、永遠に堅固なものはない。長年使っていると、どこかに、ひずみが生じ、事故につながることがある。防ぐ方法はあるのか?。便利なものとして構築されたものは、定期点検のみならず、毎日の点検が必要だろう。転ばぬ先の杖だ。
僕は昔から、トンネルらしき物が嫌いだ。天井と左右の壁しか見えない。おまけに、空気がどよんと濁っている。比較的、照明が暗い、距離が長ければ長いほど、出口が見えない。出口が見えないことほど怖いものはない。都市伝説ではないが、幽霊が出そうな気がする。(これは冗談)。それでも、便利だから人は通るわけだ。僕は極力、トンネルのある道は避けている。「急がば回れ」という諺もある。仕方がなく、トンネルを通るときは、一目散に出口目指して、「神よ、仏よ」と祈っている。
4番目に怖いのは人間。人間は時として悪さをする。幽霊は死人だから一応、悪さをしない。昔、母からよく言われたものだ。「死人より怖いのは人間だよ。あんた、お人よしだから、すぐ騙されちゃうもんね」と。何を言っているのか当時はよく分からなかったが、若干、反論もある。
僕は本来「性善説」を信じている。理性と本能が戦い、普通は理性が勝っている。本能には欲が働くが、それを抑えるのが理性だ。本能が理性を超えたとき、よからぬ考えが心を支配する。そのよからぬ考えを制止するのも人間の役割だ。制止ができなかったときに、人間の怖さが露呈する。
それでも、人間を信じたい。人を信じることに限界はあるんだろうか?。マクロ的には人は性善だ。ミクロ的には個々のケースがあるだろう。ただ、いかなるケースであれ、人を信じるという心に躊躇はいらないだろう。いつも、そうありたいと思っている。なぜなら、信じて生きるほうが生きやすいからだ。
「罪を憎んで人を憎まず」。そんな言葉がある。そこまで心を浄化できるのは神や仏だけだろう。いつも、邪心の誘惑に負けそうな僕だ。「よからぬ心」を、極力、制して生きる。それが今後の僕の課題か。
まだ、暖房を入れる必要もない。まずは我慢、我慢だ。電気代も馬鹿にならないからなあーー。いずれ、電気代が値上げになるという。負担増だけが目につく今日この頃。「ブルータス、大前もか?」と言いたくなる。
てなわけで、つい先日、書斎と居間の電球をLEDに取り換えた。結構値段が高い。寿命が長いうえ電気代の節約になるというのがうたい文句だ。いくら寿命が長いとは言え、僕の寿命より耐久年数が長かったら不愉快だ。幾らの節約になったのか知る由もないからだ。
話題を変えよう。午後から外回りの出勤だ。まだ二時間近くある。日記をしたためるにはちょうど良い。最近、気になっていることを書いておこう。「あなたが怖いものを5つあげなさい」と言われたとする。定番の答えは、「地震、雷、火事、親父、?」といったところだが、僕の答えはこうだ。最初の3つは同じ。4番目の親父は、もういないから、その代わりに人間とあげておこう。5番目はトンネルだ。
昨日は、都市圏でトンネルの落盤事故があった。10名近くの人が亡くなったよし。痛ましいことである。ただ、ただ、お悔やみを言いたい。昔、北海道でもトンネルの事故があり、九死に一生を経験した人がいた。トンネルの怖さ。そりゃーー、山を打ち抜いて、穴を掘り、道とするからには高度な技術がいる。建築工学を駆使して築造したとしても、永遠に堅固なものはない。長年使っていると、どこかに、ひずみが生じ、事故につながることがある。防ぐ方法はあるのか?。便利なものとして構築されたものは、定期点検のみならず、毎日の点検が必要だろう。転ばぬ先の杖だ。
僕は昔から、トンネルらしき物が嫌いだ。天井と左右の壁しか見えない。おまけに、空気がどよんと濁っている。比較的、照明が暗い、距離が長ければ長いほど、出口が見えない。出口が見えないことほど怖いものはない。都市伝説ではないが、幽霊が出そうな気がする。(これは冗談)。それでも、便利だから人は通るわけだ。僕は極力、トンネルのある道は避けている。「急がば回れ」という諺もある。仕方がなく、トンネルを通るときは、一目散に出口目指して、「神よ、仏よ」と祈っている。
4番目に怖いのは人間。人間は時として悪さをする。幽霊は死人だから一応、悪さをしない。昔、母からよく言われたものだ。「死人より怖いのは人間だよ。あんた、お人よしだから、すぐ騙されちゃうもんね」と。何を言っているのか当時はよく分からなかったが、若干、反論もある。
僕は本来「性善説」を信じている。理性と本能が戦い、普通は理性が勝っている。本能には欲が働くが、それを抑えるのが理性だ。本能が理性を超えたとき、よからぬ考えが心を支配する。そのよからぬ考えを制止するのも人間の役割だ。制止ができなかったときに、人間の怖さが露呈する。
それでも、人間を信じたい。人を信じることに限界はあるんだろうか?。マクロ的には人は性善だ。ミクロ的には個々のケースがあるだろう。ただ、いかなるケースであれ、人を信じるという心に躊躇はいらないだろう。いつも、そうありたいと思っている。なぜなら、信じて生きるほうが生きやすいからだ。
「罪を憎んで人を憎まず」。そんな言葉がある。そこまで心を浄化できるのは神や仏だけだろう。いつも、邪心の誘惑に負けそうな僕だ。「よからぬ心」を、極力、制して生きる。それが今後の僕の課題か。
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