三月一日。雨。梅の花が雨に打たれ、喜んでいるのやら?、悲しんでいるのやら?。寒さも随分遠のいた。これから、日増しに暖かくなるだろう。
昔は冬という季節が好きだった。なんとなれば、寒さで身が引き締まり、労働をすれば、体も温まるからだ。靴下もはかず、部屋や廊下を歩き回っていると、人が「強かですねえー」と言う。感心しているのか?、阿呆な人と思っているのか分からない。確かに、僕も強がっていたきらいはある。若かったからだ。
今はどうか?。めっきり寒さに弱くなった。寝るときには靴下をはき、首には防寒用首巻き、頭には毛糸の帽子。目と鼻と口だけが外気に触れている。すやすやと眠れる。まあー、暖房を入れないから、これで良いわけだ。
最近は冬と夏の季節が疎ましく思える。夏は夏で、あまりにも暑すぎる。汗がだらだらと、滝のように流れる。本来、汗濃い体質だ。人が見て、汗の多さにびっくり。「早く拭いたら、着替えたら」と促される。汗には慣れているから、放っておくこともしばしば。これがいけないんだよなあーー。結構、人から敬遠される。汗も不潔の一要因かもしれない。
今日は、とりとめてする仕事はない。寸時の休養日だ。怠け者の僕とは違い、我が家で必死に働いている者がいる。なんと、「ルンバ君」だ。山の神がこっそり購入したようだ。その働きぶりはお見事。いまや、我が子のごとく、君ずけで呼び、いたくかわいがっている由。不愉快だあーーーー。今日も30畳の部屋と廊下を、せわしく動き回っている。僕も彼の働きぶりには脱帽だ。家事が楽になることは良しや?悪しや?。悪く言えば「怠け者製造器」だ。これでいいいんだべか?。人間本来の家事労働が消えて、いいんだべか?。
そう思いながらも、目を丸めている僕の姿がみえまあーーーーす。すっかり怠け癖がついた僕は。よからぬ事を考えた。もう既に世の中にあるのかどうか知らないが、「ガラスルンバ君」、おっと、君ずけは止めよう。今度は「ガラスルンバちゃん」にしよう。
窓ガラスが多い家庭や事務所なんかで利用すれば面白い。ガラスにへばりついて、移動しながら汚れを落とす。ガラス面一枚が終わると、次のガラス面へ自動的に移動する。移動が困難な場合は、音声で「次のガラス面へ移動させてください」と、ウグイス嬢がしゃべるような、優しい声でしゃべる。この声に嫌がる人はいないだろう。「はい、はい、ただいま参ります」と飛んで行くに違いない。
いやはや、ここまで文明の利器が登場すると、我々人間の存在価値はあるのだろうか?。近い未来には、「ここはどこ?。あなたは誰?、私は誰?」と、他人や自分の存在感すら、薄れてしまわないだろうか?。
山の神には悪いが、僕は僕のスタイルでいこう。「ich dennke also bin ich」。我思う故に我ありだ。手足を動かして労働することこそ、自己を失わない最良の手立てである。
昔は冬という季節が好きだった。なんとなれば、寒さで身が引き締まり、労働をすれば、体も温まるからだ。靴下もはかず、部屋や廊下を歩き回っていると、人が「強かですねえー」と言う。感心しているのか?、阿呆な人と思っているのか分からない。確かに、僕も強がっていたきらいはある。若かったからだ。
今はどうか?。めっきり寒さに弱くなった。寝るときには靴下をはき、首には防寒用首巻き、頭には毛糸の帽子。目と鼻と口だけが外気に触れている。すやすやと眠れる。まあー、暖房を入れないから、これで良いわけだ。
最近は冬と夏の季節が疎ましく思える。夏は夏で、あまりにも暑すぎる。汗がだらだらと、滝のように流れる。本来、汗濃い体質だ。人が見て、汗の多さにびっくり。「早く拭いたら、着替えたら」と促される。汗には慣れているから、放っておくこともしばしば。これがいけないんだよなあーー。結構、人から敬遠される。汗も不潔の一要因かもしれない。
今日は、とりとめてする仕事はない。寸時の休養日だ。怠け者の僕とは違い、我が家で必死に働いている者がいる。なんと、「ルンバ君」だ。山の神がこっそり購入したようだ。その働きぶりはお見事。いまや、我が子のごとく、君ずけで呼び、いたくかわいがっている由。不愉快だあーーーー。今日も30畳の部屋と廊下を、せわしく動き回っている。僕も彼の働きぶりには脱帽だ。家事が楽になることは良しや?悪しや?。悪く言えば「怠け者製造器」だ。これでいいいんだべか?。人間本来の家事労働が消えて、いいんだべか?。
そう思いながらも、目を丸めている僕の姿がみえまあーーーーす。すっかり怠け癖がついた僕は。よからぬ事を考えた。もう既に世の中にあるのかどうか知らないが、「ガラスルンバ君」、おっと、君ずけは止めよう。今度は「ガラスルンバちゃん」にしよう。
窓ガラスが多い家庭や事務所なんかで利用すれば面白い。ガラスにへばりついて、移動しながら汚れを落とす。ガラス面一枚が終わると、次のガラス面へ自動的に移動する。移動が困難な場合は、音声で「次のガラス面へ移動させてください」と、ウグイス嬢がしゃべるような、優しい声でしゃべる。この声に嫌がる人はいないだろう。「はい、はい、ただいま参ります」と飛んで行くに違いない。
いやはや、ここまで文明の利器が登場すると、我々人間の存在価値はあるのだろうか?。近い未来には、「ここはどこ?。あなたは誰?、私は誰?」と、他人や自分の存在感すら、薄れてしまわないだろうか?。
山の神には悪いが、僕は僕のスタイルでいこう。「ich dennke also bin ich」。我思う故に我ありだ。手足を動かして労働することこそ、自己を失わない最良の手立てである。
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