生と死。

2013年3月10日 日常
 どんよりとした曇り空。本来の曇り空なのか、黄砂の影響か、PM2.5のせいなのか?、よくわからないが空気が濁っている。遠くを見やると、視界がぼやけている。自然現象と人為的現象が相乗効果を演出しているのだろう。ずっと、こんな日々が続くのだろうか?。地球危うしである。

そんな中、今日は、とある家の三回忌法要に呼ばれた。坊さんの懇ろなる読経の後、会食となった。三回忌は亡くなって、丸二年目である。まだ、遺族の悲しみも癒えまい。生も死も、ともに尊いものだ。

中国の儒教では三回忌の事を大祥忌と言うらしい。もう丸二年たったから故人はあちらの世界で幸せに暮らし、安住しているに違いない。「良かった良かった。もう安心だ」という、安堵の気持ちと、さらには、「私たちも元気で暮らしていますよ。安心してください」という感謝の意味もあるそうな。かくして、祝いみたいに法要を営むらしい。要するに吉祥の祝いである。

日本では、なかなか、そういう気持にまではなれないだろう。死は何年たっても、やはり悲しくて、遺族にとっては、つらいものだ。坊さんの読経を聞きながら、祖母、父、叔母のことを思い出していた。つくずく思うが、「もっと、いい子でいたら良かったなあーー」と、悔やみの気持ちが頭をもたげた。今更遅きに過ぎるが、僕が元気でいることが先祖の何よりの願いだろう。

会食では、缶ビール2本、焼酎のお湯割り2杯を飲んだ。昼間のアルコールは、量が少なくても結構きける。すっかり顔を赤らめながら、会話はしどろもどろ。小料理屋やスナックにいるのとは違う。人様の接待となれば、まさに借りてきた猫だ。おとなしく、会話に耳を傾けた。

頃もよく、その場を辞退した。家で酔いを覚ましていると、ドラえもん君がやってきた。彼は、ちょくちょく我が家を訪れる。お腹の袋のみならず、引き出しの多い男で、いろんな情報をもたらしてくれる。

なんでも、彼の義理の父が翌々日、手術をするそうだ。足が腫れているらしく、正座ができない。ドラえもん君の父親には、ずっと、かわいがってもらった。ちと、心配である。ドラえもん君は「大丈夫、大丈夫」と言っているので、今はただ、手術の成功を願うのみ。

話は変わるが、偶然にも友人の母親が今日、一周忌とのこと。昨夜テルが携帯に入っていた。早寝の僕は気がつかなかった。彼は画家をやっている。沖縄にいる歯医者も仲間である。歯医者は5月に母親の一周忌だ。もう、我々も、世代交代の時期になったのだろう。次々と仲間の親たちが亡くなり年忌を迎えている。僕の父は、とうの昔に亡くなったが、母はまだ健在である。今のうちの、「度重なる親不孝をお許しください」と言っておこう

友人の画家は、高校時代は才能のかけらも見せなかった。サラリーマンを経て、何かのきっかけで画家に転じた。今は、絵一筋だ。女房も画家だ。「あんた、女房に食べさせてもらっているんじゃあーないの?」と言ったら、かんかんに怒ったっけ。お互いに喧々がくがくと批評しながら絵を描いている由。うらやましいことだ。

ようやく、アルコールが抜けてきた。今から日記をしたためれば良かったが、既に遅し。駄文となってしまった。


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