東北大震災が教えてくれたこと。
2013年3月13日 日常今日は雨。しとしとと降っている。東北大震災で流れた涙にはほど遠いものだ。震災後、丸二年を過ぎた。マスコミも、人も、3・11と言う。記憶にとどめ、風化させないための表現だ。僕はどうも、こういう略した表現は嫌いである。平成23年3月11日に起きた東北大震災。そう、記憶にとどめた。
人類は、地表に足跡を刻んで以来、幾多の天災に遭遇してきた。恐怖におののき、わなわなと震えながら生きてきた。救いを求め神仏にもすがった。時が流れ、人類は次第に高度な文明を築いた。今や天災を、ある程度予知できる所まで科学技術が進展している。だが、完全ではない。そもそも、完全という言葉は、どんな場合にも適用できないだろう。
よく、想定外だったという言葉を聞く。日常生活の中でも、茶化して使われることも多い。予想外という言葉もあるが、想定外という言葉はもっと、重い響きを与える。「これなら大丈夫」と、検討を重ね、線を引く。問題は線の引き方である。天災が予知できたとしても、天災には大丈夫というレッテルは貼れないだろう。従って明確な線引きは出来ない。恐るべきかな天災。
守るべきは、何千万種と言われる生命体の命である。想定外の天災で生命体の命が絶たれることほど、無念な事はない。特に、高度な知性を持ち、喜怒哀楽を表現し、幸と平和を求めている人間。天災によってもたらされた突然の死ほど痛ましく、悲惨なことはない。天災には想定外という言葉を使ってはいけないだろう。天災の予防のためには、「あんた馬鹿か?」と言われようと、蛇足に蛇足を積み重ねることも必要なのではないか?。
最近、「火星には生命体が存在していたという証拠らしきものが見つかった」と報じられていた。古代の火星には生命体がいたのだ。長い年月とともに、火星は死の星に変わった。何が原因だったかはわからない。この美しい地球でさえ、いつ、死の星へ転ずるやも知れぬ。隕石の衝突、地軸の変化、太陽の弱体化、全球凍結、月の消滅・・・・等等。要因はいくつも挙げられるだろう。
人類は、「そんな事は起こらない」と高をくくっているようだが、想定外のことは分からない。明日、明後日がそんな日になるかも知れない。東北大震災は、まさにそんな事を教えてくれた。ただただ、亡くなられた方々の冥福を祈るとともに、被災者の方々の一日も早い復興を祈願したい。
人類は、地表に足跡を刻んで以来、幾多の天災に遭遇してきた。恐怖におののき、わなわなと震えながら生きてきた。救いを求め神仏にもすがった。時が流れ、人類は次第に高度な文明を築いた。今や天災を、ある程度予知できる所まで科学技術が進展している。だが、完全ではない。そもそも、完全という言葉は、どんな場合にも適用できないだろう。
よく、想定外だったという言葉を聞く。日常生活の中でも、茶化して使われることも多い。予想外という言葉もあるが、想定外という言葉はもっと、重い響きを与える。「これなら大丈夫」と、検討を重ね、線を引く。問題は線の引き方である。天災が予知できたとしても、天災には大丈夫というレッテルは貼れないだろう。従って明確な線引きは出来ない。恐るべきかな天災。
守るべきは、何千万種と言われる生命体の命である。想定外の天災で生命体の命が絶たれることほど、無念な事はない。特に、高度な知性を持ち、喜怒哀楽を表現し、幸と平和を求めている人間。天災によってもたらされた突然の死ほど痛ましく、悲惨なことはない。天災には想定外という言葉を使ってはいけないだろう。天災の予防のためには、「あんた馬鹿か?」と言われようと、蛇足に蛇足を積み重ねることも必要なのではないか?。
最近、「火星には生命体が存在していたという証拠らしきものが見つかった」と報じられていた。古代の火星には生命体がいたのだ。長い年月とともに、火星は死の星に変わった。何が原因だったかはわからない。この美しい地球でさえ、いつ、死の星へ転ずるやも知れぬ。隕石の衝突、地軸の変化、太陽の弱体化、全球凍結、月の消滅・・・・等等。要因はいくつも挙げられるだろう。
人類は、「そんな事は起こらない」と高をくくっているようだが、想定外のことは分からない。明日、明後日がそんな日になるかも知れない。東北大震災は、まさにそんな事を教えてくれた。ただただ、亡くなられた方々の冥福を祈るとともに、被災者の方々の一日も早い復興を祈願したい。
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