今日は夕方から、のび太君主催の花見がある。あいにく天気は下り坂。なんとかもちそうだ。メンバーはのび太君の家族やクライアント。恩師。知人達。僕達、とっつちゃん坊や達も数名が参加する。ネズミ男君、夜泣き爺さん、スネ夫君、それに、僕、ジャイアンだ。総勢で20名近くにはなるだろう。
桜は既に満開。「いまや遅し」と我々の登場を待っている。昨年はもっと遅い時期に花見をしたが、今年は異常気象が開花を早めたのだろう。何はともあれ、「花見て一杯」とはしゃれている。古人達のように短歌や俳句の一句でも詠めれば風流だが、我々、とっちゃん坊や達には、その才能なし。ただ、飲んで、だべって、わいわいやるだけが関の山。ま、これも楽しからずや。
場所は、のび太君事務所の裏である。ここには歴史的に有名な人物の像が設置されており、毎年一回は、法要が営まれているようだ。そんな場所で花見とは、罰が当たりそうだが、訪れる人も少なくなった人物像と一緒に、花を愛でるのも良いではないか。当、敷地の所有者も快く、場所を提供してくれた。
昨年をそうだったが、知人が大きな鉄板を持ってくる。野菜やら肉やらを焼いて、酒のつまみにする。会費は2千円。僕、ジャイアンはもらい物の缶ビールと茶菓子がしこたまあるので、それを持参しようと思っている。「ジャイアンは会費はいらないよ」と、のび太君が言ったので、その言葉に甘えることにしよう。
ネズミ男君は自慢のカメラを持参するという。腕は今ひとつだが、自分では一端のカメラマンと思っているようだ。まあ、そういうことにしておこう。僕もちゃちなデジカメを持っていく。花を愛で、人を愛でるのも、頻繁にあることではない。年賀状は出しても、本人に会うのは、この機会だけという人もいる。要は、元気で再会できることが、何よりの幸せである。思い出作りが出来る。
今、テレビでも、あちこちの花見情報を放映している。のどかな風景、幸せな日本を、あまねく映し出しているが、「花見どころではない」という人達も多いだろう。まさに千差万別。震災にあった人達の心は、いかばかりだろうか?。ただ、いかなる状況にあれ、人間は降りかかった火の粉を払いながら生きていかねばならない。悲しくもあり、切なくもある。それでも桜は、どんな人達にも、変わらぬ美を提供してくれる。ほんの一時でも、安らぎを得て欲しいものだ。
桜は既に満開。「いまや遅し」と我々の登場を待っている。昨年はもっと遅い時期に花見をしたが、今年は異常気象が開花を早めたのだろう。何はともあれ、「花見て一杯」とはしゃれている。古人達のように短歌や俳句の一句でも詠めれば風流だが、我々、とっちゃん坊や達には、その才能なし。ただ、飲んで、だべって、わいわいやるだけが関の山。ま、これも楽しからずや。
場所は、のび太君事務所の裏である。ここには歴史的に有名な人物の像が設置されており、毎年一回は、法要が営まれているようだ。そんな場所で花見とは、罰が当たりそうだが、訪れる人も少なくなった人物像と一緒に、花を愛でるのも良いではないか。当、敷地の所有者も快く、場所を提供してくれた。
昨年をそうだったが、知人が大きな鉄板を持ってくる。野菜やら肉やらを焼いて、酒のつまみにする。会費は2千円。僕、ジャイアンはもらい物の缶ビールと茶菓子がしこたまあるので、それを持参しようと思っている。「ジャイアンは会費はいらないよ」と、のび太君が言ったので、その言葉に甘えることにしよう。
ネズミ男君は自慢のカメラを持参するという。腕は今ひとつだが、自分では一端のカメラマンと思っているようだ。まあ、そういうことにしておこう。僕もちゃちなデジカメを持っていく。花を愛で、人を愛でるのも、頻繁にあることではない。年賀状は出しても、本人に会うのは、この機会だけという人もいる。要は、元気で再会できることが、何よりの幸せである。思い出作りが出来る。
今、テレビでも、あちこちの花見情報を放映している。のどかな風景、幸せな日本を、あまねく映し出しているが、「花見どころではない」という人達も多いだろう。まさに千差万別。震災にあった人達の心は、いかばかりだろうか?。ただ、いかなる状況にあれ、人間は降りかかった火の粉を払いながら生きていかねばならない。悲しくもあり、切なくもある。それでも桜は、どんな人達にも、変わらぬ美を提供してくれる。ほんの一時でも、安らぎを得て欲しいものだ。
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