先般、高校時代の同級生からハガキが届いた。恩師の喜寿祝い兼、3年4組の級友会をやろうとの誘いである。確か、恩師の古希祝いもやったような気がする。あれから、7年の歳月が流れたのか?。
恩師のニックネームは「亀ちゃん」。国語の担任である。金八先生ではないが、まさに「3年4組、亀ちゃん先生」といったところだ。本人のいないところでは、「亀ちゃん、亀ちゃん」と呼び捨てにしている。「ぶすーー」としていて、授業中は、亀のように、のっそりのっそりと我々の席の周りを徘徊する、居眠りしていると、いつの間にか背後に忍び寄り、頭にげんこつが下る。僕も痛い一発を浴びた経験者だ。
いつぞや、仲間の「だのみ君」が一番前列の席で「こっくり、こっくり」やっていた時、背後からげんこつが飛んだ。そこまでは良かったが、なんと、彼の眼鏡が机を飛び越へ、コロコロと床に転がった。「およよ」と、彼のあわてふためいた様子が爆笑を誘った。亀ちゃん先生は笑顔一つ見せず、冷静沈着。先生が笑えば、げんこつの威厳もなくなるからなあーー。今でも語りぐさとなっている。「おいら、亀ちゃんは苦手だぜ」と彼は言う。それもそうだろう。眼鏡事件が尾を引いているわけだ。
3年4組の級友達は、皆、仲が良い。卒業以来、事あるごとに、級友会というかクラス会を開いてきた。時には同窓会もあった。それぞれに進んだ道は違っても、「同じ釜の飯を食った。互いに受験にいそしんだ」という思い出が、僕たちを引き寄せるのだろう。幸いなことに、亡くなったという級友はまだいない。
時は5月20日、場所は郷里の、いけす料理店とのこと。今でも親しくしている画家のI君、歯医者のM君、大学教授のK君、先ほど登場した「だのみ君」、それにクラスナンバーワンの美少女だった、マドンナ君も来るだろう。久しぶりの再会となる。楽しからずやである。
級友会にあわせて、母にも会ってきたい。今年になって、まだ一度も会っていない。時折、兄に電話して母の様子を聞くが、元気にしているようだ。随分と苦労をかけてきたことが、今でも、チクチクと胸を射る。それは僕のみではなく、兄も弟も同じだ。父を早くに亡くして、母一人の手で、気丈に兄弟三人を育てた。「そりゃあー並大抵じゃなかったよ」と、母が思い出したように語る。その当時のことを懐かしく思っているようだ。
母の苦労を知っている僕たち兄弟は、それなりに仲は良い。だが、しかし、ばっと、家庭が出来ると兄弟といえども少なからず遠慮が生じる。これは仕方がないことか?。僕は兄嫁とは、どうも波長が合わない。同い年ということもあるが、未だかって、「お姉さん」と呼んだ事がない。会話もない。この辺が、僕の了見の狭いところか。
まあ、それは置いといて、4月、5月は、いろんな行事が目白押しだ。5月中旬になると、やっと、身が解放される。それまでは、馬車馬みたいに、懸命に走るだけだ。ネズミ男君が、よく言っている。「人生とはなんぞや?、愛とはなんぞや?」って。走りながら、僕もそんなことを思うかも知れない。結論は「わかんなーーーい」である。
恩師のニックネームは「亀ちゃん」。国語の担任である。金八先生ではないが、まさに「3年4組、亀ちゃん先生」といったところだ。本人のいないところでは、「亀ちゃん、亀ちゃん」と呼び捨てにしている。「ぶすーー」としていて、授業中は、亀のように、のっそりのっそりと我々の席の周りを徘徊する、居眠りしていると、いつの間にか背後に忍び寄り、頭にげんこつが下る。僕も痛い一発を浴びた経験者だ。
いつぞや、仲間の「だのみ君」が一番前列の席で「こっくり、こっくり」やっていた時、背後からげんこつが飛んだ。そこまでは良かったが、なんと、彼の眼鏡が机を飛び越へ、コロコロと床に転がった。「およよ」と、彼のあわてふためいた様子が爆笑を誘った。亀ちゃん先生は笑顔一つ見せず、冷静沈着。先生が笑えば、げんこつの威厳もなくなるからなあーー。今でも語りぐさとなっている。「おいら、亀ちゃんは苦手だぜ」と彼は言う。それもそうだろう。眼鏡事件が尾を引いているわけだ。
3年4組の級友達は、皆、仲が良い。卒業以来、事あるごとに、級友会というかクラス会を開いてきた。時には同窓会もあった。それぞれに進んだ道は違っても、「同じ釜の飯を食った。互いに受験にいそしんだ」という思い出が、僕たちを引き寄せるのだろう。幸いなことに、亡くなったという級友はまだいない。
時は5月20日、場所は郷里の、いけす料理店とのこと。今でも親しくしている画家のI君、歯医者のM君、大学教授のK君、先ほど登場した「だのみ君」、それにクラスナンバーワンの美少女だった、マドンナ君も来るだろう。久しぶりの再会となる。楽しからずやである。
級友会にあわせて、母にも会ってきたい。今年になって、まだ一度も会っていない。時折、兄に電話して母の様子を聞くが、元気にしているようだ。随分と苦労をかけてきたことが、今でも、チクチクと胸を射る。それは僕のみではなく、兄も弟も同じだ。父を早くに亡くして、母一人の手で、気丈に兄弟三人を育てた。「そりゃあー並大抵じゃなかったよ」と、母が思い出したように語る。その当時のことを懐かしく思っているようだ。
母の苦労を知っている僕たち兄弟は、それなりに仲は良い。だが、しかし、ばっと、家庭が出来ると兄弟といえども少なからず遠慮が生じる。これは仕方がないことか?。僕は兄嫁とは、どうも波長が合わない。同い年ということもあるが、未だかって、「お姉さん」と呼んだ事がない。会話もない。この辺が、僕の了見の狭いところか。
まあ、それは置いといて、4月、5月は、いろんな行事が目白押しだ。5月中旬になると、やっと、身が解放される。それまでは、馬車馬みたいに、懸命に走るだけだ。ネズミ男君が、よく言っている。「人生とはなんぞや?、愛とはなんぞや?」って。走りながら、僕もそんなことを思うかも知れない。結論は「わかんなーーーい」である。
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