鏡。

2013年4月12日 日常
最近、変な事を思った。「この世に鏡がないとしたら、面白いだろうなあー」って。もちろん、カメラも映写機もない。ということは、人間は自分がどんな顔をしているのか分からない。なんとか顔を見たいと思ったら、水面に映った姿で判断するしかない。

ギリシア神話だったか?、忘れたが、ナルシシストという人物が水面に映った自分の顔を眺めて、あまりの美しさにうっとりとした。自己陶酔である。そこからナルシシズムという言葉が生まれた。

そういえば、白雪姫という物語にも、面白い話があったっけ。王女兼魔女が、魔法の鏡に向かって、「鏡よ、鏡よ、この世で一番美しい人は誰?」と尋ねた。返ってきた返事は、「白雪姫」だった。これには魔女もカンカンに激怒。鏡を打ち砕こうかと思ったが、それは思いとどまったようだ。嫉妬心は、誰もが抱く。魔女は白雪姫をいじめだした。

何かにつけ、自分が一番でありたいと思う気持ち。分からないではない。「誰よりも美しくありたい」という気持ち。これも、その範疇だろう。そこで、鏡が登場するわけだ。自分の顔を眺める。だが、しかし、ばっと、鏡がなければ自分と相手を比較しようがない。そこが問題だ。たとえ鏡があったとしても、顔のみが美の判断基準の一番という訳ではない。そこに気づくべきだ。美の基準は千差万別である。その人が醸し出す雰囲気、心の中にこそ美、美しさが宿っているのだ。これは男性にも女性にも通じる事だろう。

よく言うではないか。「顔は心を映す鏡である」と。魔女君は魔法の鏡に映った自分の顔のみが最高に美しい顔であると勘違いしたわけだ。心清ければ水清し。心ある人の顔はいつも美しい。魔女君はそのことに気がつかなかった。思い込みとは、あな恐ろしやである。

そう言えば、鏡は太古の時代からあったようだ。遺跡等でも発見されている。どの程度の映りかは分からないが、女性の装身具の一つだったか?。恐らく、邪馬台国の卑弥呼も鏡を見ていただろう。「口裂け女」みたいに、真っ赤な木の実で唇を描き、「うっしししーーー。わたし、きれい?」」と、ほくそえんでいたかもしれない。何か「むにゃむにゃ」と呪文を唱える。部下を統率するには、真っ赤な唇が最高の演出効果を発揮したわけだ。部下達は、今にも吸い込まれそうな、その唇に「ははーーーーっ」と、ひれ伏したに違いない。

いやあーー、ここまで想像を巡らすと、僕も思わず笑ってしまった。あり得ない。あり得ない・・・。何はともあれ、今や鏡は大事な生活必需品。女性達は唇のみならず、鏡を見ながら顔に化粧を施す。「今日はのりが悪いわ」と言いながら、鏡をじっと見つめている。傍らでは、男性達が「きれいだよ」と褒め称える。それはそれで結構である。ただ、美しくありたいと思う心はエスカレートし、顔に高価な化粧品を塗る。化粧品は巷にあふれ、花盛りだ。久しぶりに会った女性に「あなたは誰?」と思うこともしばしば。すっかり人相が変わってしまっている。

そこで、僕は思ったわけだ。この世に鏡や、カメラや映像機器とかがなかったら、世の中はどうなっていただろうかって。女性も男性も、自分の顔がどんな顔か判断できない。女性が化粧をしても、どんな風に変わったかは、他人にしか分からない。となると、化粧品も意味をなさないだろう。自分を演出する方法は心の清らかさでしかない。心の清らかさこそが、その人の美しさである。

昨今、素顔が分からない人達が増えている。化粧品や鏡がなくても、「田で食う虫も好き好き」。それで万事が治まる。「鏡よさらば」と言いたいところだが、「あんたは鏡を見ないの?」と言われそうで、これ以上の言及は止めよう。






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