昨夜は裏庭で、我が家の猫と侵入者の猫が喧嘩をしていたようだ。宵の口なら、棒を持って、我が家の猫の助っ人に行くのだが、なにせ真夜中。勝利を願いながら、互いに威嚇し合う声に聞きいっていた。

「ウーーーー、ウーーーー、ワオーーー」と、唸っている。しばらくその状態が続いた。突如、緊張が敗れた。「ギャオー、ムニャムニャ、バタバタ」と、とっくみあいが始まったようだ。とっくみあいは長くは続かない。どちらかが、まず逃げ出すからだ。侵入者にまだ未練が残ると、再び立ち止まり再戦が始まる。

どうも、我が家の猫が勝利したようだ。それもそうだろう。たらふくまんまで、体力には自信を持っているからなあーー。程なく、声がやんだ。静寂が戻った。僕は我が事のように勝利の笑みを浮かべながら、そのまま眠ってしまった。

僕は朝早く起きて、戦利品に期待しながら猫を迎え入れた。残念だ。戦利品なし。耳たぶを、ちと、かじられたようだ。他に傷なし。僕は褒めてやりたかったが、そしらぬ顔で台所へ消えた。「なぜ、助っ人に来なかったか?」と言わんばかりだ。ご主人様に対して失礼だぜ。

いつぞや、雀や、トカゲ、子蛇を口にくわえて、我が家へ持ち込んだ。床に「ポン」と落とした時には、まだ生きていた。「やめてよーーー」と、僕は床から後ずさり。小判か、なにか価値ある物を持ってきた暁には、大いに褒め称えてやるんだが・・・・。とにもかくも、昨夜勝利したことだけは賞賛に値する。

僕は思った事よ。自然界はまさに弱肉強食の世界だ。弱い者はいつも虐げられる。ただ、自然界には一つのルールがある。生き残るために、弱い者を捕獲するが、必要以上に乱獲はしない。だからこそ、弱者でも自然淘汰しながら生き残って行ける。人間の飽くなき欲とは一線を画するようだ。

人間世界における法は一体、何のためにあるのか?。人間の際限ない欲を抑制し、円滑な人間社会を構築するためにある。そのことが第一だろう。さらに言えば、法は弱者救済のためにあらねばならない。弱い者が守られてこそ、法の意義があるのだ。現状、法はその役割を果たしていると言えるんだろうか?。

複雑に絡み合った人間社会。網の目のように張り巡らされた法がそれを律する。だが、完璧なものは、どんな社会にも存在しない。時代と共に、社会が変化していくからだ。法もそれに応じて変化を余儀なくされる。ただ、「悪法も法なり」と言われるように、法が強者の為の法になることだけは、絶対に阻止せねばならないだろう。

我が家の猫よ。本能として弱者である獲物を捕獲するのは良い。ただ、自然界のルールを守り、必要以上に貪欲になるな。そのことを僕は君に言いたい。ここで、「ニャーン」と、同意の一鳴きが欲しいと、猫の行方を追った。やれやれ、もう既に、お寝んねタイムだ。現金な奴だぜ。

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